19 Apr. 2019

「イソヒヨドリ」・・・・・はる

このカラフルな鳥はイソヒヨドリです。

種目的にはツグミの仲間で、ヒヨドリと全く違いますが、なんとなく似ているので
この名前がついたのでしょう。

日本各地で見ることができて、珍しい鳥ではありませんが沖縄では数多く目撃しました。

興味深かったのは暗めの岩や草原など、色彩的にもっと目立たない場所が
付近にたくさんあるのに、好んでこの白い石灰岩の上でさえずっていました。

長い進化の過程で派手な色にしたからには目立たなければ意味がないのでしょう。
本人はお立ち台の上に乗った気分でしょうね。

この写真は沖縄の最北端・辺戸岬で撮りました。
約50年ほど前、本土復帰前で沖縄に行くのにはパスポートが必要だったころ、
当時の日本の最南端だった与論島から、遠く霞んでいた辺戸岬を見た事があります。
初めて、国境を感じたときでした。

それから何度か沖縄には行ったのですが辺戸岬まで足を伸ばしたのは初めてでした。
残念ながら、この日は黄砂で視界が悪く、与論島は視認する事ができませんでした。

今回の旅行で、沖縄の神聖な神の島「久高島」でガイドを頼んだ人は
「第二次世界大戦中、久高島にも内地から疎開の子供たちがきた。しかし、熊本や宮崎の
子どもたちは預かったけど鹿児島の子どもたちは断った。」
と言っていました。

もとにあるのは1609年の薩摩藩による琉球侵攻です。
琉球の人々には複雑な思いを抱かせていますが、琉球を仲介とした交易で財を蓄えた
薩摩藩の力がなかったら明治維新もどうなっていたか。

歴史にIFはないけど、中国の太平洋進出を阻む琉球の地形が戦略的にこれほど重要であることが、当時、
分かっていたなら、琉球を攻略したのは、明治維新前夜、アヘン戦争で勝利して勢いに乗るイギリスだった
かもしれないし、浦賀来航する前に琉球に立ち寄り、下田で江戸幕府と日米和親条約を結んだ直後、再び琉球を訪れ、
首里城で琉米修好条約を無理矢理、結ばさせたペリー(アメリカ)だったかもしれない。

黄砂で煙る沖縄は中国人観光客であふれかえっていました。

写真① 石灰岩のイソヒヨドリ

写真② イソヒヨドリ


写真③ イソヒヨドリの飛翔