13 June 2011

長崎訪問 その2  TH
 
 
 
【中華街】 
 
長崎新地の中華街の入口です。
この門の前の広場は観光イベントにも使われるそうです。
今回は時間が足りなくて、中の通りには入れませんでした。
 
 
 
その横でのんびりと(結構真剣?)近隣のおじさんたちが集まって
何のゲ−ムをしているのでしょうか?
 
 
唐人屋敷跡巡りはこちらからでしょうか。
 
 
その前に出島唐人屋敷跡
幕末の地図でチェックしてみますと
 
(参考資料)   長崎海岸之図  1853  アメリカ議会図書館
外国の蒸気船の絵もありますので開国も真近の頃?
 

 

何しろ方向音痴なので、今風に北を上にしてみます。
出島は「阿蘭陀ヤシキ」となっています。
これによりますと「唐人屋敷」から橋を渡ると、
唐人荷物蔵(?)」という四角い人工島があったようです。
 
 
ここで再び、出島オランダ人を描いた江戸時代の御用絵師、
川原慶賀(1786〜1860?)の作品で当時を想像してみたいと思います。
 
(参考資料)「唐蘭館絵巻 唐館図 荷揚水門」  川原慶賀  長崎歴史文化博物館
これは蔵の水門の荷揚げの様子です。
小船から貿易品が運び込まれています。お役人が立ち会っています。
 
 
(参考資料)「唐蘭館絵巻 唐館図 荷揚水門内部図」  川原慶賀  長崎歴史文化博物館
日本人と清国人がそれぞれの服装をして
水門の中で入り混じって作業をする様子が伝わってきます。
 
 
 
【唐人屋敷跡】
 
1635年に中国との貿易が長崎だけに限られたため、次第に密貿易が問題となり、
幕府は1689年に中国人を、出島のオランダ人同様、
長崎奉行の監視下に置き、唐人屋敷と呼ばれる地区に収容しました。
唐人屋敷跡は今の館内町にあたり、   
広さは約29200平方m(出島の約2倍)だったそうです。 
これは1859年の安政の開国まで続きました。
 
このように生活感あふれるというか、賑やかな中華街に
比べるとちょっと寂れた感じでした。
 
 
これは土神堂(1691年) 唐人の船頭たちの願いにより建設されたものです。
 
 
(参考資料) 「唐蘭館絵巻 唐館図 龍踊」 川原慶賀  長崎歴史文化博物館
中国人たちが上記の土神堂の前で蛇踊りを演じています。
よく見ると屋敷の周囲は塀や垣根でしっかり囲まれていた事がわかります。
出島出入り絵師は唐人屋敷の中にも出入りを許されていたのでしょう。
 
 
 
天后堂(1736) 南京地方の人々が航海安全を祈願して建設しました。
 
 
 
お堂の内部です。
 
 
観音堂(1737年)
ア−チ型の入口が特徴で、観世音菩薩像が祭られています。  
近所の子供たちが遊んでいました。
 

やはりお堂や塀が赤レンガ造りというのは異国的ですね。
 
 
 
最後に福建会館(1868年) 福建省の人々により建設されました。
 
 
孫文の立像がありました。
 
 
 
【孔子廟】
 
中華街からは少し離れた孔子廟へは翌日行きましたが、ここでまとめて紹介します。
知らずにいたのですが、孔子を学ぶ場所には必ず孔子廟があるとのこと。
長崎にも古くから建てられたそうですが
現在の「長崎孔子廟」の建設は1893年だそうです。
 
 
孔子廟入口です。唐人屋敷で見たお堂と同じ赤レンガですが、
中に入るとその立派さに驚きます。
 
 
 
孔子廟です。一対の獅子が守ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
伝統的な建物の配置が壮麗な雰囲気です。
気合が入ってます。
 
 
 
 
うやうやしく居並ぶ賢人たちの像は72人で、北京で造られたとのことです。
 
 
 
 
 
 
 
大きな孔子の坐像です。
 
 
 
廟の裏側はまた違う意匠がほどこされています。
 
 
これは孔子廟に必ず植えられるという「楷樹」の木だそうです。
珍しくも美しい姿をしています。みとれてしまいます。
 
 
孔子廟の奥には1983年に「北京故宮博物院」と提携して建てられた
「中国歴代博物館」があります。展示品は北京からのもので、
2年おきに入れ替えられているそうです。
今回は元の時代の陶磁器が多数展示されていました。
見事なものばかりでした。