03 Jul. 2016



2016年5月連休の旅(7)熊野本宮大社


T.H.


午後から高野山を後にして熊野に向かいました。

高野山と熊野本宮大社の間には直行便のバスがありません。
途中バス会社を2回乗り変える必要があり、連休限定の特急ダイヤでも
4時間40分もかかるというので、(平時ダイヤだとさらにプラス2時間)
結局時間短縮のため、宿坊に紹介してもらった地元タクシーを利用しました。
所要時間は2時間40分でしたので、
何とか期日内に旅行スケジュールがこなせたかなという感じでした。






快晴の国道371号線(高野龍神スカイライン)は
新緑の紀伊山地の稜線がどこまでも続いています。
観光バスもマイカーも紅葉のシーズンに比べるとガラガラとのこと。
山道はカーブの連続でしたが、
運転手さんは生まれてこのかたずっと高野山住まいという年配のベテランで
目的地までスムーズで快適なドライブでした。





途中日高川沿いの龍神温泉で休憩しました。
ここは紀州徳川家初代頼宣公(1602〜1671 家康の10男)
好んで訪れた温泉で
殿様や家来たち専用の宿が建てられ、代々土地に住む龍神家に管理がまかされました。
因みに龍神一族は、平安時代末期に以仁王の乱で平家に敗れ、この地に逃れた
源頼政の五男、頼氏の子孫とのことです。

紀伊 徳川頼宣(吉宗の祖父)参考画像





こちらがかつて殿様専用の宿だったという「上御殿」です。
現在は一般向けに営業しています。





現在龍神家は29代目のようです。





通りに面して縁側のような廊下が付いているところが珍しく感じられました。



 

内部は宿泊客以外には公開されていませんでした。

旅館内部の様子は、以前ここに手打ち庵さんとさすさらさんと共に宿泊した、
編集長の2008年8月の龍神温泉宿泊レポートでご覧ください。

こちらです。  和歌山速報!      


下は龍神温泉を発つ前に 上御殿の前で撮ったものです。
みなさん「日本3大美人の湯」で磨かれてピカピカ!




このあと311号線を走り、渡瀬温泉のホテル「ささゆり」に向かいました。





「ささゆり」に到着。
荷物を置いて、近くの熊野本宮大社へ向かいます。





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熊野本宮大社にやってきました。
大きな鳥居の脇には大社の定紋である、八咫烏(やたがらす)の旗が掲げてあります。




天からの使いの八咫烏は、記紀にも記述があり
神武天皇が日向から東征の旅に出て紀伊に上陸した際、
道に迷った天皇を熊野を経由して大和まで先導したといわれています。
熊野では古くから神の使い、導きの鳥として篤く信仰されてきました。





ところで、UFA日本サッカー協会では3本の足を持つこの八咫烏を
ボールを勝利へ導くということで、1931年からシンボルマークにしています。
サッカー日本代表の公式ユニフォームのエンブレムにも採用されていますね。






因みにこちらが1931年の制定当時のシンボルマークだそうです。






この地を訪れた白河上皇の歌に迎えられました。
「咲き匂ふ 花のけしきを 見るからに 神のこころぞ そらに知らるる」 





実はこの時、ある事件が起きていました。
高野山で撮った画像の入ったSDカードがどうしても無い(!)ことに
タクシーに乗ってだいぶ経って気が付いたのです。
よくよく思い出してみると、壇上伽藍でカードを交換する時
いい加減なしまい方をして落としたとしか考えられません。

あんな小さなものはもう出てくるはずがないと思いながらも
とうとうこの熊野本宮大社の鳥居の前で
持っていた金剛峯寺のパンフレットに載っていた伽藍御供所に電話したところ
「届いております」とのお返事でした!!

東京へ郵送いただけるとのお話に、何度もお礼を言いながら、
境内の砂利の上に落ちていたであろう切手大のカードが
大勢の観光客に踏み潰されもせず、
どなたかの目に止まり、それをわざわざ旅行中にもかかわらず
届けてくださったとは!
その不思議さに感動、感謝すると同時に思わず
「お大師様、有難うございました!」でした。

鳥居の奥に向かって「熊野大権現」ののぼりが続きます。
こちらの権現様にも心してお参りしなくては!

さあ、登りましょう、と登り始めた158段の階段の途中で、車のキーホルダーを拾いました。
誰かさんが困っているだろうと社務所へ届けましたが
あまりのタイミングにびっくり。






参道の中腹、左側にある祓戸大神はらえどのおおかみ)にまずお参りをし、
身を祓い清めます。






祓戸大神です。






いよいよ本宮大社の神門です。
申の絵馬の両側にある正月飾りのような飾り藁は
3本足の八咫烏を表したものとか。






門の手前から感じる威厳と神々しさです。






上四社と呼ばれる4つのお社が横一列に並び、
右端から少し離れて5つ目の小さなお社があります。
そしてお社のお参りには、正式な順番があるみたいなのです。



上の画像の番号に従ってお参りしました。
奈良時代より取り入れられた神仏習合により、御祭神には仏名が配されています。


①家津御子(けつみこ)大神  《スサノオ尊》  阿弥陀如来






②右 速玉(はやたま)大神 《イザナギ大神》 薬師如来
③左  夫須美(ふすみ)大神 《イザナミ大神》 千手観音






④右 天照大神 《アマテラス大神》 十一面観音





⑤結びの神





順番の理由はわかりませんが、①〜 ④は一応知っている神様の名前で
少し親しみが持てました。






桧皮葺の熊野本宮大社は本当に端正で美しく
熊野3山を代表するにふさわしい社殿です。






このあと、明治22年まで本宮社殿があったという、
500mほど離れたところへ徒歩で向かいました。

熊野本宮大社はかつて熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点の
大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
境内には5棟12社の社殿、楼門、神楽殿、能舞台などがあり
現在の本宮大社の8倍の規模を誇っていたそうです。

ところが明治22年8月の大洪水のため大部分が流失し、
明治24年にかろうじて水害を免れた上四社が近くの高台に移築されました。

こちらは洪水前の熊野本宮大社の写真です。
当時は上四社、中四社、下四社の12の神々の社が
ずらっと並んでいたようです。






ここで熊野本宮大社の成り立ちをみてみましょう。

大斎原に社殿が建てられたのは、飛鳥時代(615年)といわれています。
奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏として祀られるようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、
京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が参拝に訪れました。
室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まり、
男女や身分を問わず人々が参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」といわれました。
明治22年の大洪水により社殿の多くが流失し
残った上四社は現在地へ移されました。


下図は往時の大斎原と熊野本宮大社を描いた「熊野本宮并諸末社圖繒」です。
江戸中期〜後期頃の製作と考えられています。(参考画像)






下図は現在の大斎原の航空写真です。参考画像






大斎原の森を背景に
平成12年に竣工した大鳥居(高さ34m、横42m)がそびえています。
(家人が撮ったビデオからの画像です)






仰ぎ見る鳥居は日本一の高さとか、
中央の金色の定紋も八咫烏です。










紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産に登録する石碑が建っています。






杉木立ちの参道です。






旧大社の周囲の熊野川の土手です。






こちらは熊野川の河原です。
ここが溢れるほど水量が増える恐ろしさを感じました。

飛鳥時代からここにあった社殿が明治になって大洪水で流されたのは
明治維新以後に大規模な森林伐採が進んだからともいわれています。






旧本宮の社殿跡地に、
洪水で流された中四社、下四社、境内摂末社の神々が
2基の石祠に祀られています。





平成23年の大雨でも被害が出たとのことですが
自然破壊や、気候変動にさらされた文化財が何とか次代に受け継がれてほしいものです。


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ややあって食堂での夕食タイム。






はるばる熊野まで来れたことに乾杯でした。





美味しかった地元の川魚。










食後に、庭に出てみました。
河原からはカジカの声が聞こえてきますし、
紀州の自然は貴重でした。






おはようございます。食堂の外の新緑の美しいこと!






和食です。いただきます。






もう一度お庭を一回り。






桜と同じくらい若葉のグリーンが美しく、旅の印象に残りました。
また、ここから湧くお水の美味しかったこと!





広く気持ちのいい中庭がありました。参考画像






ホテルささゆりは熊野川の支流の四村川に架かる
吊り橋のたもとにありました。ビデオ画像






ホテル近くから路線バスで熊野速玉大社へ向かいました。
バスの車窓から見たエメラルドグリーンの熊野川の景観です。















熊野川に沿って、新宮の熊野速玉大社へと走りました。

ー続くー