13 July 2016



2016年5月連休の旅(8)熊野速玉大社 神倉神社

T.H.

渡瀬温泉を出発したバスは熊野川沿いを走り、紀伊半島の南、
熊野灘に面した新宮に着きました。

熊野速玉大社は下図のように熊野川の河口近く に位置し、
昔は熊野本宮大社から舟に乗って川を下り、
ここに上陸したという事がよくわかりました。参考画像




「熊野権現」の扁額を掲げた、」熊野速玉大社の立派な鳥居です。





この鳥居は両部鳥居(権現鳥居と呼ばれ、
長い本柱の前後に短い柱が付いています。
これは神仏混淆の神社に多く見ら れ、宮島の厳島神社が代表例とのことです。




入ってすぐの所に八咫烏(やたがらす)神社がありました。




奥へと進みます。




大きな梛(なぎ)の御神木がありました。
樹齢1000年近い天然記念物で
平安末期に平清盛の嫡男、重盛によって植えられたとのこと。
この葉を熊野詣のお守 りとして身につける習わしが今もあるそうです。




こちらはこの梛の枝と八咫烏を組み合わせた速玉大社のご神紋です。参考画像




手水社に珍しい龍神が置かれていました。南国の海のイメージで す。




それでは神域へと参りましょう。
社殿へと続く神門です。




扁額には、「全国熊野大社総本宮」とありました。

新宮は平安のころ、熊野別当という熊野3社を統括する役職の本拠が置かれたことから
速玉大社が他の2社よ りも格が上の時もあったそうです。

1883年(明 治16年)の炎上後は仮社殿が続き、1967年に再建されました。




快晴の下で見る社殿は明るく、新しく、目のさめるような美しさです。




横に長い拝殿・社殿に12の御祭神が祀られていますが
左の上座の方に熊野本宮大社と同じ神様が並んでいます。
お参りの順番は決まっていないようでした。
左より、
熊野結大神(イザナミノミコト)
熊野速玉大神(イザナギノミコト)
家津美御子命 国常立命(スサノオノミコ ト)
天照大神(アマテラスオオミカミ)
そして速玉大社にとって重要な
高倉下命(タカクラジノミコト神倉神社の 主祭神)
と続きます。

こちらは左端にある拝殿です。




各神様を祀った鈴門が右へ5つ続きます。




全景です。優雅な屋根の曲線と丹の柱が見事に連なっています。




こちらは1883年(明治16年)の炎上前の速玉大 社「旧御社殿」の画像です。
横長の社殿であったことがわかります。






こちらは神門内にある境内社の新宮神社です。




赤くて可愛い絵馬のパレード。





そして屏風の形をしたこの石碑は
平安時代の上皇・女院・親王による熊野御幸の記録です。




これによりますと熊野御幸は
初回の宇多上皇(907年)と次の花山法皇(992年)の単発的な御幸の後、
白河上皇(1092年〜12回)から急に盛ん になり、
上皇や女院に大ブームを巻き起こし、後鳥羽上皇を最後に終息していきました。

結局宇多天皇以後396年のあいだの、上皇・女院・親王の方々23人の熊野御幸の回数は
延べ141回!にも及 んだそうです。

おそれながら、それぞ れ回数の多い方は・・・。

白河上皇  12回
鳥羽上皇  23回
後白河上皇 33回
後鳥羽上皇 29回

待賢門院 鳥羽天皇の 中宮  9回
美福門院 鳥羽上皇の 皇后  4回
七條院 後鳥羽天皇の 母   4回
修明門院 後鳥羽天皇の准后 6回

というわけで、御幸は 上皇が栄えていた院政の頃に集中したようです。
随行約1000人、往 復約1ヶ月という、大変な経 費がかかる旅も可能だったのでしょう。

平安時代になると熊野 の地が神仏が住む現世の浄土と考えられ
本宮(阿弥陀如来)、新宮(薬師如来)、那智山(千手観音)の熊野3山へ
御幸の回数を重ねる事が極楽浄土への確かな道とされていたことも 背景となりました。

下図は御幸の様子を描 いた古い絵です。
「熊野御幸図写」室町時代 江戸時代写 参考画像




こちらは「紀伊国名所図絵」江戸時代後期
宇多上皇は907年に 最初の御幸をしています。
 「海路を行く宇多院




「熊野御幸の後白河法皇」




「藤白山超えの後鳥羽院」



熊野への参詣は鎌倉時代以降は各地の武士が、そし て
室町時代ごろには庶民も大挙して熊野を目指し、蟻の熊野詣といわれました。

参詣者は各地から集まり、それぞれ現在熊 野古道と呼ばれる参詣道に配された
王子という神社をたどりながら
各地の修験者(先達)に道案内され、山内に住む御師(おんし)による宿の提供を受けました。





 次に梛の大樹の向かいにある熊野神宝館に入りました。
南北朝時代末期の1390年、長く途絶えていた速玉大社の遷宮が
足利義満の強い意向で幕府の支援 のもとに行われました。

この時に新調さ れた神宝類や調度類、天皇・上皇・将軍からの奉納品など約1200点は
今日まで保存され、 1955年に一括して国宝に指定されています。




代表的なものを5つほどご紹 介します。


《国 宝 御神像》

仏像に比べるとあまり見る機会がない御神像です。
これら熊野速玉大神・熊野夫須美大 神・国常立命・家津御子大神の四体の坐像は
平安時代前期の桧(ひ のき)の一木造りで、着色されています。
いずれもそれぞれの神 の理想像が表現されているといわれ
日本を代表する神像彫刻ということです。参考画像  

  
熊野速玉大神坐像                  熊野夫須美大神坐像
イザナギノミコト                   イザナミノミコト

  
国常立命坐像                   家津御子大神坐像
両方ともスサノオノミコト



下図は2013年に東京国立博物館で開催された「大神社展」での 御神像の展示風景です。
これらの国宝御神像が等身大の大きさがあり、かなりリアルな存在感があることがわかります。
御神像は神宝館には展示されていませんでした。参考画像





《  国宝 彩絵檜扇(ひおうぎ)》

熊野檜扇として知られる「 国宝・彩絵檜扇(さいえ ひおうぎ)」は
27枚の檜の薄板の扇に 王朝風の絵を施し、金銀の箔を散らしたもので
宮中の儀式に正装した公家の男女が携えていたそうです。
因みに厳島神社には5つ、熱田神宮にはひとつ、
速玉大社には11の国宝の檜扇が保存されています。参考画像








《国宝・桐唐草蒔絵手箱》

こちらは桐唐草の模様が付けられた蒔絵手箱で、化粧道具一式を入れるためのものです。
中世以前の作で中身も揃っているものは極めて稀で、保存状態も大変良く
当時最高の技法で作られているそうです。
速玉大社にはこうした中身が完全なものが11個保存されているとのこ と。参考画像



化粧道具一式です。





《 国宝 衵(あこめ) 萌黄小葵浮線綾丸文二重織 》 

 衵とは、上着と肌着との間に着る中間着のことで、
衣の色を美しく見せるため、何枚か重ねて着ることもあったそうです。
こちらは保存状態が非常によいとのことです。参考画像





《国宝 金銀装鳥頸太刀》

後小松天皇より奉納された南北朝時代の作。
中世鷹狩りに使用された公家飾太刀と呼ばれる ものとのこと。参考画像




この熊野神宝館は稀少な中世の文化財の宝庫とのことです。
今まで馴染みが薄かったものをこちらの神宝館でまとめて見ることが出来ました。
一見地味な展示室ですが、ケースの中は日常の小物に至るまで、ほとんど国宝でし た。参考画像





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《神倉神社》


15分ほど離れたところにある、熊野速玉大社の摂社、神 倉神社に来ました。

由緒書きによると、は るか昔この神倉山(標高120m)の山上に、
熊野の神々が降臨した ということです。
速玉大社は神々を山の上から平地に祀るために造営された新たなお社という意味で
新宮と呼ばれ、それが現在の地名になったそうです。

神倉神社入り口の下馬橋を渡って境内に入ります。
そういえば速玉大社の入り口にある橋も下馬橋でした。




神倉神社の社殿と御神体はこの石段を登った山の上にありますが
一応この鳥居の前でもお参りが出来るようになっています。




でもせっかくなら山上 の神社まで行こうとなれば
石段を登ることになる のですが、それが大変らしいのです。




登ろうかとちょっと迷いました。
しかし以前ここを登ったという娘の忠告によると
石段というより崖に近く、引き返そうにも降りるに降りられず
あるはずの途中からの迂回路もわからず、大変な目にあったとか。
(土砂降りの日だったらしいのですが・・・)

言い伝えによれば、こ の538段の急な石段は1193年に
源平合戦の熊野水軍の 働きを賞して、源頼朝が寄進したもので
自然石を組み合わせて 積み重ねた「鎌倉積み」という工法で造られた貴重な史跡とのことです。

なるほどこうして見ると急な石段です。ここを降りるのは怖いですね。参考画像




結局危うきには近寄りませんでした。高いところは苦手でもありますし。




神倉神社の山の上にある社殿や御神体を遥拝できる場所があると聞き、
神社の外の住宅地から撮影しようとしていますと、住人の方が
「ここからだと電線が入ってじゃまでしょうから、あちらの駐車場からがいいですよ。」と
教えてくれました。

御神体は巨大な岩で、その足元に小さな社殿が押しつぶされそうに建っています。
形がヒキガエルに似ていることから、土地の言葉でゴトビキ岩と呼ばれています。
神道や仏教が発生する遥か以前の自然崇拝をも含む
熊野の神々の起源を見ることができました。

調査によりますと、ゴトビキ岩の周辺からは弥生時代の銅鐸の破片も
発掘されているそうです。

現在御祭神は高倉下命と天照大神 となっています。




何だかクジラにも見えます。



こちら2枚はサイトからの参考画像です。




近くで見るとすごい迫力ですね。




神倉神社の代表的神事である、2月6日(旧正月)の御 灯(おとう)祭りでは
白装束の男達が松明を手に、この538段の階段を我先に駆け下りるそうで、
松明の火が滝となって山を下るさまは「下り竜」と云われています。
参考画像




お燈祭りは熊野の神の降臨を再現する神事であると同時に
新年に家々に神の火を戴くという意味があります。
古くは、男達が松明の火を 持ち帰るまで、灯明を挙げることが禁じられていたそうです。

現在も祭りの日は2月といえども海で身を清め、不思議な(?)白装 束に身を包み
腰に縄を幾重にも巻き、食事は1週間前から白いものだけにするということです。





熊野の神の存在感の濃厚さに圧倒されるお祭りです。

神倉神社から次の目的地へと急ぎました。


ー続くー