05 Dec. 2016

修学院あたり その1   さすさら

 

早いもので、もう師走なのだ。
   2日金曜日の朝、阪急の夙川で昨日から神戸に来ていた彼と待ち合わせ。
 

10時に集合なのだ。
 

ここは京都は京阪電車の出町柳駅。
   比叡山、鞍馬、貴船に行く叡山電鉄の始発駅なのだ。
 

続々と集合してくるのだ。
 

電車内。
 

 

10分ほどで修学院駅。
 

ぶらりぶらりと歩くのだ。
 

いい天気なのだ。絶好の行楽日和。
 

15分で到着。総勢8名なのだ。
 
さがれ、下がれ!これが目に入らぬか。
   これを入手するのに、大変だったのだ。
   3か月前の9月1日に投函していたのだ。
   1枚で4人しかダメ。日時も抽選。8人なので2枚の葉書を
   出して、やっと2回目で当選。
   それもラッキーなのだ。なんと2枚が同じ日時で決まったのだ。
   時間が別なら、2組が分かれて行かないと仕方がないなぁー!
   と、言っていたのだが・・・
   やれやれ、なのだ。
 

1回に35名。当日受付もあるのだ。
 

向こう側に並んでいる人たちが、そうなのだ。
   11時に受付て、13時半か15時まで暇をつぶさないといけないのだ。
 

11時まで15分ほど待つのだ。
 

 

入場だ。
 

ここでチェック。
 

北が上で、左の下離宮から入り、南の中離宮、北の上離宮と回るのだ。
 

写真では左下が下離宮。
   修学院離宮は比叡山の麓、東山連峰の山すそに造られたのだ。   
   借景となる山林と三つの離宮(茶屋)を結ぶ松並木と両側に広がる
   田畑で、総面積54万m2あるのだ。
   高低差は40mで、大小の滝に、流れの速い小川があって、どこにいても
   絶えず水音が聴こえるのだ。
   京都御所、大宮御所、仙洞御所、桂離宮とともに宮内庁が管理、国有財産なのだ。
 

控室で待つのだ。
 

 

11時に試合開始なのだ。
   引率は宮内庁の井上さん。
 

下離宮の御幸門から入るのだ。
   ?(こけら)葺きの屋根と花菱紋の透かし彫りが入っているのだ。
 

 

皆さんも一緒にどうぞ。
 
307
 

袖形灯籠、朝鮮灯籠等を配した苑路を歩くのだ。
 

その庭を回ると。
 

壽月観の玄関の「お輿寄(おこしよせ)」なのだ。
 

観月壽ではなく、壽月観なのだ。
   これは横書きではない。縦書きで1行に1文字なのだ。
   だから、右から読むのだ。額は皆そうなのだ。
   後水尾上皇の宸筆なのだ。
 

下離宮は上離宮への拠点で、建物は?葺入母屋数寄屋風造り。
   一の間は15畳で、3畳の上段を設け、一間半の床と琵琶床、飾り棚があるのだ。
 

戸袋には鶴の絵、下の地袋には岩と蘭の絵が描かれて、筆者は  
   原在中(はらざいちゅう)。
 

襖4枚には虎渓三笑(こけいさんしょう)の絵が。
 

二の間の正面の杉戸は光格上皇が仙洞御所から移したもので、
   夕顔の絵で描いてある。筆者は不詳なのだ。
   内側はお水屋。
 

御幸門と相対する位置にある東門から出ると視界が大きく開けで、びっくり。
   田圃の向こうに比叡の霊峰から東山、北山の山並みが一望できるのだ。
   トラックが邪魔だなぁー!
 

 

感動して、見ているのだ。
 

トラックが動かないのだ。
 

300本の松並木。御馬車道と言うのだ。
 

青空に山々が映えるのだ。
 

紅葉を見ながら。 
 

写真を撮りまくり。
 

大きな石段を上がって行くと。
 

中離宮の?葺きの中門なのだ。
 

庭園を眺めて。
 

小さな池を渡り。
 

見えてきたのが。
 

楽只軒。後水尾上皇の第八皇女光子(てるこ)内親王のための
   最初の建物。寛文8年(1668年)創建。
   南側には庭に面して広縁を設け、床を低く取り、庭との一体感を深めているのだ。
 

楽只軒の庭を回ると、
 

棟続きで客殿へ。
   一の間は12畳半で、一間半の飾り棚を構えるが、互い違いに配された大小5枚の
   棚板がいかにも霞がたなびいているように見えることから、霞棚と呼ばれ、
   桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されるのだ。
 

戸袋には更紗模様、地袋には友禅染、引手には羽子板の形、花車を形どった
   七宝流しの釘隠しなど、華やかなのだ。
 

床、襖、壁には和歌や漢詩の色紙を張り混ぜるなど雅を極めているのだ。
 

気温祭の鉾の絵を描いた杉戸の筆者は狩野敦信。
 

鯉の絵の網だけは丸山応挙が描いたのだが、鯉は分からんのだ。
 

客殿は楽只軒の東南の高みに工夫のある階段でつながれている。
   1682年に光子内親王のために女院御所から移築したもの。
   入母屋造り木賊葺の廂の深い屋根を持ち、板戸を建て、濡れ縁を回している。
 

御馬車道をまた歩いて、中離宮から上離宮へ。
 

御成門をくぐると。
 

大刈込みで目隠しをしている石段を登っていくのだ。
 

御成門を入ると高い刈込の間を縫って、急な階段を登る。両側の刈込で視界を
   さえぎられ、石段がカーブしているので上り詰めたところに何が待ち受けているのか、
   見当もつかない趣向が奇抜なのだ。
 

ビックリして、見とれてしまうのだ。
   振り向けば眼下に浴龍池が広がり、洛北の山々が見渡せるのだ。
 

そう、頂上にあるのが隣雲亭。
   

文政年間の再建。池に面しては6畳の一の間と三畳の二の間があり、
   床も棚もなく一切の装飾を拒んで自然に立ち向かっているのだ。
   三方を開け放せば、吹き抜ける風も、木立の奥に6m余りを流れ落ちる雄滝の
   水音も全く欲しいままなのだ。
 

深い軒下のたたきは、漆喰に小石を一つ、二つ、三つと埋め込み、俗に
   「一二三石」と呼ばれているのだ。
 

浴龍池をバックに記念撮影。
 

雄滝が分かるかな?
 

島の形を泳ぐ龍の姿に見立てたもの。浴龍池を一周するのだ。
 

窮遂亭のある中島と万松鵜をつないでいる千歳橋。切り石を組んだ橋脚二基に
   一枚石を渡し、二つの橋脚に宝形造りと寄棟造りの四阿風なものを建てて
   これをつないでいる。
 

いかにも中国風な感じで自然に溶け込まず違和感があるが、それもまた
   アンバランスの美と言えるのだ。
 

 

穹遂亭。漢字が出てこないのだ。お許しを。
 

正式にはこの字。
   後水尾上皇の宸筆。
  

創建当時の建物で現存する唯一のもの。
   18畳と付属の水屋の一間からなり、一隅に直角に折れて畳一枚高くした
   上段を設け、上段西側いっぱいに低く一枚板を渡して御肘寄としている。
 

外から見ると。
 

 

 

千歳橋。
 

左は楓橋。
 

こんな日に、こんな所でビールを飲んだら旨いのだ。
 

お疲れさま。
 

宮内庁の井上さんにはお世話になったのだ。
   1時間40分の見学は、いい天気で大成功だったのだ。
   

続くのだ。