26 Mar. 2016

王妃オリュンピアスとは

 
川島道子


私には子ども時代から80歳を超える現在まで関心を持ち続けている

英雄がいます。その英雄は、はるか2300年前に、わずか33年の

生涯でヨーローッパからアジアまで踏破し、人間のもつ可能性の限界に

挑戦しつづけたアレクサンドロス大王です。

 

ポンペイ出土のイッソスの戦い

その精力と才覚は底知れず、古代ローマのカエサルや初代皇帝

アウグストゥスらが英雄として憧れ、神格化されて後世の歴史に

おおきな影響をあたえました。

 

イッソスの戦いのアレクサンドロス

アレクサンドロスと言う名前は人をひきつけてやまない魔力のような

輝きがあり、同時代から現代まで歴史書から娯楽作品、伝記など

大王を語る膨大な作品が生み出されてきました。

 

 

私も可能な限り大王関連のものを読みすすめるうちに、大王の母に

興味を持ちました。古代という制約の多い時代に生きたこの女性に

ついてはその言動から悪評に包まれ、時の流れとともに人々の無関心に

消え去ろうとしていました。

 

オリュンピアス

わずかに残された資料の断片に、現在新たな光りがあてられてゆっくりと

姿を現わしたこの女性の生き様を伝えたいと思います。

 

アレクサンドロス大王は古代ギリシャ文明が衰退期に向かうころ、

ギリシャの北方の古代マケドニア王国に生まれました。

 

フイリッポス二世

父のフイリッポス二世は、弱冠22歳で存亡の危機にあった古代

マケドニア王国を豊かな資源を最大限に活用し、強力な軍隊を育て、

わずか20年あまりでバルカン半島随一の強国に育てあげました。

 

フイリッポス二世は軍事力強化とともにギリシャの文化的影響力も

国内に導入し、住民の生活様式から社会のあり方までを根底から変革

する大事業でマケドニアをギリシャ化していきました。マケドニアの

宮廷にはアリストテレスをはじめ悲劇作家のエウリピデスなど

多くのギリシャ人が滞在しました。

 

実物に近いフイリッポス二世

大王の母オリュンピアスはマケドニアの近隣のモロッソイ王国の王女で、

エーゲ海北部にある聖地サモトラケ島でフイリッポス二世と出会い、二人は

恋に落ちて結婚したと伝えられていますが、事実は政略結婚のようでした。

 

ポンペイの遺跡より発掘

当時のギリシャ世界ではディオニッソス信仰が盛んで、二人ともその信者

であったと伝えられています。

 

ポンペイ出土ディオニッソス秘儀

その信仰とは葡萄の栽培を教えたディオニッソスへの信仰で、特に女性たちは

集団で狂宴乱舞し、陶酔と興奮のなかで神や自然と一体となって恍惚感に浸る

もので、より熱心だったのはオリュンピアスでした。狂信的なその言動は大王に

大きな影響を与えていきました。

 

アキレウス

フイリッポス二世もオリュンピアスもそれぞれの家系は神話上の英雄に

連なり、マケドニア王家の祖先はギリシャ最大の英雄ヘラクレスにさかのぼり、

モロッソイ王家のそれはトロイ戦争の勇将アキレウスにつながって、いずれも

最高神ゼウスの血を引いていると言われていました。

 

こうした系図は王家に箔つけるために創作されたものでしたが、祖先が英雄である

という事実は大王の心理と行動に深く作用していきました。

 

幼年時代のアレクサンドロスは母親の強い影響のもとに育ち、絶えず母親は

幼い息子に、一族の祖先たる英雄たちの伝説を語り聞かせました。

 

アリストテレスに学ぶ

アレクサンドロスが13歳になった時、父は息子に本格的な帝王教育を

ほどこすため、哲学者のアリストテレスを教師に招きました。アリスト

テレスは3年間、若者達にギリシャ文化の精華を教えましたが、もともと

読書好きだったアレクサンドロスの天性は、師の指導を受けて開花して

いきました。

 

少年の時から自制心に優れ、名誉を重んじる気持ちのお陰で彼の精神は、

年に似合わず重厚で気位の高いものになりました。プルターク英雄伝には

少年時代のエピソードがかなり紹介されています。私が最初にアレクサン

ドロスに惹かれたのはこの英雄伝の記述でした。

 

マケドニアの首都ペラ

アレクサンドロスの生まれた古代マケドニア王家は、一夫多妻で、

母オリュンピアスは父の7人の妻の一人で、妻たちの間に序列がなく、

王位継承も長子相続の制度がないために相続は不安定でした。

妻たちに求められるのは男子を生むことでした。

 

フイリッポス二世

フイリッポス二世が7人目の妻をめとり、その妻の妊娠によって

アレクサンドロスとオリュンピアスの地位は不安体な状況になり、

父フイリッポス二世との関係が悪化し、一時は母と息子は国外に

出ざるをえない状況になりました。

 

父フイリッポス二世が突然暗殺されたことによってアレクサンドロスは

王位を継ぎましたが、その暗殺について犯人を煽動したのはオリュンピアスと

アレクサンドロスの親子ではないかという疑問がありましたが、

アレクサンドロスは犯人と関係者を探し出し処罰しました。

 

実物に近いオリュンピアス

フイリッポスの暗殺後、オリュンピアスは7番目の妻の部屋に乗り込み、

生またばかりの女児を殺して、その母親を自殺に追い込みました。

オリュンピアスにとって7番目の妻とその子はアレクサンドロスの

存在をおびやかすものとして生かして置けなかったようで、

息子の王位を守ることこそ母としての務めだと信じていました。

 

新しく王位についたアレクサンドロスは自由なギリシャが異国人の王に支配され

奴隷の境遇にあるアジアの民を解放する戦い」をめざした父フイリッポスの意思を継いで

東方遠征に出発しました。

 

グラニクス、ガウガメラ、イッソスの三大会戦でペルシャ軍を破り、

ペルシャのダレイオス王を倒し巨大なペルシャ帝国を滅ぼしました。

 

オリュンピアスは息子を送り出すときに、貴方の父親はゼウスなのだから

その生まれにふさわしい心を持つようにと言ったといわれています。東方

遠征中の母と子は頻繁に手紙を取り交わしました。その手紙はこまめに

息子の世話をやく普通の母親と変りないようでした。

 

アレクサンドロスお気に入りの彫刻家による

その一方でオリュンピアスは、王と側近たちとの関係にも遠慮なく口を出し、

王の無二の親友にも激しく嫉妬し、脅迫まがいの言葉を発しています。

息子と友人たちとのつき合いにまで干渉するオリュンピアスの姿は、過保護

といえるものがありましたが、アレクサンドロスの側にも、こうした母親の

異状なまでの気遣いを許す気持ちがあったようでした。

 

オリュンピアスのアレクサンドロスの部下たちへの干渉の手紙に、憤りを

抱いた重臣がオリュンピアスを非難した手紙を書いてきたとき、アレクサン

ドロスはそれを読んで、母親の一粒の涙は、一万通の手紙をも拭い去るという

ことをその重臣はしらないのだと言っています。

 

オリュンピアスとアレクサンドロスとは宮廷内周囲の人間関係から孤立した、

母子限りの固い絆で結ばれ、二人の間は第三者の割り込みを許さない濃密な

で情愛でかためられているようでした。

 

女性に対するアレクサンドロスの関心は、若い女性よりもむしろ母性愛に

向かっていたようで、アレクサンドロスが真に愛した女性はオリュンピアスただ

一人だったのではと言われています。またオリュンピアスにとってアレクサンドロスは、

息子であると同時に恋人でもあったのかもしれないと言われています。

 

 

アレクサンドロスのバビロン入城

アレクサンドロスの東征中本国を任せられた摂政のアンティパトロスと

祭祀と宮廷内を取り仕切ったオリュンピアスとの関係は、険悪でたえず

対立を繰り返していました。

 

両立は不可能になり、ついにアレクサンドロスはこの人物を解任することに

なりました。しかしアレクサンドロスの急死により事態は大きく変貌していき

ました。

 

一大の英雄アレクサンドロスは後継者を指名しないまま亡くなりました。

アレクサンドロスの3人の妻のうちロクサネは妊娠8ヶ月の身重で、他の

妻二人と愛人が居てその愛人には息子がいましたが、庶子としてしか認め

られていませんでした。

 

王族女性としてはオリュンピアスをはじめ大王の妻や妹たち、その他ゆかりの

女性が9人いましたが、大王の後継者をめぐる戦争、後継者戦争(デアドコイ)に

主体的に参加したために非業の最期を遂げ、大王の血筋は絶えてしまいました。

 

オリュンピアスはアレクサンドロスの急死を怪しみ、毒殺されたのではと

アンティパトロスの身内を次々と殺し、後継者戦争に生き残ったアンティ

パトロスの息子カッサンドロスによって死刑に処せられました。59歳でした。

カッサンドロスはオリュンピアスについて数々の中傷を流し、彼女が死罪に

ふさわしい悪女であるとのイメージを作り上げ、彼女の殺害を正当化しました。

そのイメージは現代にも続いています。

 

20世紀初め、オリンピアスの墓に刻まれたと思はれる墓碑銘が発見されました。

カッサンドロスは死刑に処した、オリュンピアスの遺体を埋葬もせずに放置しましたが、

フイリッポス二世の妻であり、アレクサンドロスの母であるオリンピアスを支持する

人々が彼女を聖地ピュドナに埋葬し、その後毎年彼女の事蹟をしのんで献酒の儀式を

行うようになったようです。

 

アレクサンドロスの亡き後、王家を守るためにマケドニアの王家女性たちは

男性の陰に隠れることなく自己の意思をもって主体的に行動し、歴史に名を

残しました。

 

「人は持って生まれた宿命を変えることはできない。しかし自分の運命を

自分の力で切り開くことはできる。たとえ敗北に終わろうとも、その戦いの

軌跡だけが自分がこの世に生きた証なのだ。」と日本でのアレクサンドロス研究の

第一人者森谷公俊氏は述べています。

 

これこそ古代マケドニア王家の女性たちが、2300年以上の時空をこえて

我々に伝えてくれるメッセージなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

参考資料   アレクサンドロスの征服と神話    森谷公俊

       アレクサンドロスと

             オリュンピアス     森谷公俊

       アレクサンドロス大王の野望     木村凌二