16 Apr. 2011

平戸、生月島に行ってきました
                              川島道子

3月31日、4月1日と快晴に恵まれて妹夫婦と3人で平戸、生月に行ってきました。


17世紀にスペイン、ポルトガル、オランダなどとの南蛮貿易で栄えた平戸は、現在は平戸藩の
城下町として静かなたたずまいをみせています。うかつな話ですが前にも平戸に行っているのに、
今回地図を眺めて平戸島の大きいのには驚きました。



平戸松浦藩の居城を訪ねました。城内に唯一現存する木造建築北虎口門




司馬遼太郎によって景観の中の城として最も美しいのは平戸城と言われたその天守閣。




天守閣から眺めた平戸港。中央の山の中腹に松浦資料博物館が見えます。



眼下には平戸瀬戸、右前方には平戸と本土を結ぶ平戸大橋。対岸は松浦半島。



松浦資料博物館の庭園から平戸城の天守閣が見えます。桜がようやく開きかけていました。



庭園の一角にある茶室。平戸藩四代藩主松浦鎮信によって茶道鎮信流が開かれ現在に至っています。




夕日に映える平戸城



平戸市内には戦国時代から江戸時代にかけて南蛮交易が盛んに行われ、貿易港として繁栄した時代の址が
いたるところに見られます。一方でキリシタン文化の街でもありました。



オランダ商館員用として掘られたもので、破壊をまぬがれて残った数少ない遺構です。





石段にそって漆喰で塗り固められた塀。通称オランダ塀と言われています。



商船の船着場として重要な施設で、干満に合わせられる様に階段が作られています。



平戸オランダ商館の復元工事がなされていました。



平戸と生月島を結ぶ生月大橋。手前が生月島。対岸の平戸が幻想的に見えました。



生月という名前の由来は遣隋使、遣唐使の時代に中国から帰国する旅人が、船上からこの島を見つけると安心して
ほっと息をついたとということからきているそうです。一方ではキリシタン弾圧の時代には隠れキリシタンの島でもあったようです。



生月島大橋を渡りますと、風光明媚な海と断崖の世界がひろがり、まるで別世界のようでした。



塩俵の断崖をはじ大バエの断崖に、私はふと写真で見たアイルランドの「モハーの断崖」を思い浮かべました。



玄界灘の荒波に洗われてできた玄武岩の柱状節理の断崖は、生月島西海岸を代表する景勝地です。



生月島の北端に100メートルの断崖の上に立つ大バエの灯台は無人灯台で、人が登れる灯台としては
珍しいようです。



360度に広がるこの展望台から眺める、東シナ海に沈む夕日は格別のようです。



大バエの灯台近くの広場から鯨島を眺めながらのんびりと過ごしました。先端部分には高所恐怖所の私は近寄りませんでした。



今年81歳の義弟のおかげで今年もドライブ旅行ができまして感謝しています。

塩俵の断崖、大バエの断崖と
断崖が続く風景は日本では珍しいのではないでしょうか。