01 Dec. 2010

  
久高島を訪ねて
 
                     川島道子
 
 
11月17日から二泊三日の予定で沖縄に行ってきました。今年の猛暑ともろもろの雑事で
気疲れした私を息子のつれあいが誘ってくれたことからこの旅が始まりました。那覇在住の友人
一家の空港の出迎えには感激しました。
 
空港での出迎え
 
 
 
 
今回の目的地、久高島(くだかじま)に行く前に、首里城などとともに世界遺産にもなっている
斎場御嶽(せーふぁうたぎ)を訪れました。御嶽(うたぎ)は自然崇拝と祖先崇拝が盛んな沖縄の
人々の祈りの場所になっている聖地で、斎場御嶽は数ある御嶽の中で最高の御嶽で、琉球王国の
聖地として知られています。
 
斎場御嶽の入り口
 
 
 
 
斎場御嶽では琉球王国の国家的な祭事には、神の島と言われた久高島から聖なる白砂を
運びいれ、それを御嶽全体に敷きつめました。覆いかぶさるような巨岩の根元に祭壇が
設けられて祭祀が行われてきました。大庫理(ウフグーイ)は大広間や一番座という意味で
儀式や祈りの場になっています。
 
大庫理(ウフグーイ)
 
 
 
 
最も大きな行事は、琉球王国の祭祀を司る神女の最高位の神官、聞得大君(きこえおおきみ)の
就任式でした。琉球王国では神に仕えるのは女性で、聞得大君は国王の姉妹が任命されました。
 
聖水の壷
 
 
 
斎場御嶽には、神社仏閣のような建物や滝はなにもなく、自然の岩と森で構成された祈りの場です。
斎場御嶽は沖縄の精神性の根源のような場になっていて、そこには今も大勢の人々がお参りをして
います。
 
 
 
 
御嶽の中には六つの神域がありますが、中でも大庫理(うふぐーい)寄満(ゆいんち)三庫理(さんぐーい)は、
いずれも首里城内にある部屋と同じ名前で、琉球王朝時代の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものと
言われています。
 
 
 
 
二枚の大きな岩がよりかかかるようにしてできた自然の洞門があり、洞門のおくの三メートル四方の
空間が三庫理(さんぐーい)とよばれる拝所(祈り、儀式の場)です。
 
三庫理(さんぐーい)の洞門
 
 
斎場御嶽  三庫理の前で
 
 
 
三庫理の奥にあるチョウノハナの拝所。壁に手を当てると反応があるようで、息子のつれあいは
じんじんとしたと言っていましたが、私は残念ながら何も感じませんでした。霊感の強い人は壁に
近寄れないそうです。斎場御嶽は現在、パワースポットととして人気を集めているようです。
 
チョウノハナの壁
 
 
 
 
神の島久高島に海が荒れて渡れないときに、国王や聞得大君がここから遥拝していたと言われています。
写真では見えにくいのですが、晴天の日にははるか彼方に久高島が見えます。
 
久高島遥拝所
 
 
 
 
 
 
斎場御嶽拝観の後はいよいよ海上タクシーで対岸の久高島に渡ります。20分の距離ですが、風が強く
海はかなり荒れていて、波しぶきが船の窓ガラスに当たっていました。
 
海上タクシー
 
 
 
久高島は周囲7.8Km、人口は約200人の細長い島で、島の北側は神の領域とされ、集落は南端の
わずかなところに集中しています。日本文化の原型が今に残ると言われるイザイホーの祭りの島として知られ
ています。
 
九高島
 
 
 
琉球王朝時代に神事が行われ、神の島と言われた憧れの島、久高島にやっと来ました。
島に降り立ったときは、まさかこの島を訪れるときがこようとは思ってもいなかっただけに感激
しました。
 
久高島
 
 
 
 
島に2軒ある食堂の1軒で、名物の「海ぶどうどんぶり」をいただきました。海ぶどうは福岡でも食べ
ましたがここのは歯ごたえがあり美味しかったです。ここのもう一つの名物はイラブー汁ですが、
エラブ海蛇を燻製にしたお汁にはさすがに手がでませんでした。
 
海どんぶり
 
 
 
 
所轄の南城市の認定を受けた島のガイドさんの案内で、ニライカナイの神が降り立った場所イシキ浜を
訪ねました。仕事のかたわら要請があると臨時にガイドになり、車で移動しながら案内をしました。
要所要所では車を降りて説明を受けましたが、ここはイシキ浜の入り口ですが、目立たない標識に、
聞かなければ見落とすような場所でした。
 
イシキ浜入り口
 
 
 
 
沖合い200〜300mに広がるさんご礁の海岸には、いたるところに風化した貝がらやさんごが
散らばっています。ここは五穀の入った壷が流れ着いて、そこから久高島、沖縄本島へと広がり
五穀発祥の地と言われているところです。
 
サンゴ礁の破片
 
 
 
 
歴代の琉球国王は、聞得大君とともにここからニライカナイの神々を拝礼したと言われています。海が荒れて
船で渡れないときは沖縄本島の斎場御嶽から遥拝をしました。
 
イシキ浜  白波の立っている先は海が深く切れ込んでいるそうです
 
 
 
 
琉球神話の聖地として久高島は、国王から納税を免除されるなど特別な待遇を与えられていました。
次は一見、雑草の生い茂った藪のような所に開いた場所から奥に入っていきました。
 
 
 
 
 
 
ここには700年前に住んだ人々の痕跡があり、井戸の跡だと言われているところです。
 
井戸跡
 
 
 
 
久高島には古くから人が住みついたようで1800年前の貝塚があちらこちらに点在しています。
ここも教えられなければ見落としそうな場所でした。
 
貝塚
 
 
 
 
隆起サンゴ礁でできた久高島の海岸の、サンゴ礁に囲まれた浅いおだやかな海(イノー)は昔から
「海の畑」と言われ、小魚、貝、海藻など海の幸を手軽に与えてくれる豊かな場所として大切に
されてきました。この事実は琉球列島の歴史や、その独特の信仰の根源となったようです。
 
シマージの浜
 
 
 
 
島の最北端カペール岬に向かう1本道。両側にはクバの木が生い茂る森が続いています。先祖の魂が
宿るところでもあります。
 
 
 
 
 
カべールとは「神の原」の意味でここは琉球開闢神「アマミキヨ」が降った場所と言われています。
同時に海の神様、竜宮神の鎮まるところでもあり、大漁祈願もされていました。当日は強い風が
吹き帽子がとばされそうになりました。
 
カペールの浜
 
 
 
 
亜熱帯の植物が茂る道をすすんでいきますと、アダンの実がたわわに稔っていました。
 
アダンの実
 
 
 
 
久高島最高の聖地クボウ御嶽(うたき)につきました。古くから男子禁制でしたが、現在では
男女問わず立ち入りを禁止になっている聖なる場所です。ここからは見えにくい右側の広場で
神女(のろ)だけでイザイホーなどの神聖な祭りが行われてきました。
 
クボウ御嶽
 
 
 
 
久高島では大人になると男は海人(うみんちゅう)、女は神人(かみんちゅう)になると言われていて、
男を守るのが女の役目でした。
 
クボウ御嶽の入り口にある立て札
 
 
 
 
 
 
 
久高島の祭祀を司った女性の出身家、外間殿(ほかまでん)や久高殿(くだかでん)と
イザイホーなどの祭りの主祭場になった場所の案内です。
 
立て札
 
 
 
 
主祭場の一角にあるこの建物は、久高島特産のイラブー(エラブ海蛇)の燻製を作る小屋です。
琉球王朝時代に献上品として作られ、冊封使として来島した中国の使者のもてなしにも使用
されました。その採取権と製法は琉球王朝時代、島の外間家と久高家に与えられていました。
 
イラブーの燻製小屋
 
 
 
 
ハブの17倍と言われる猛毒を持つ海蛇ですが性質はおとなしく、久高島に産卵に来たところを
手づかみで取り燻製にされます。黒地に水色の縞模様のきれいな蛇で、滋養強壮に優れ、
昔から珍重されてきました。その製法は長く途絶えていましたが最近復活しました。
 
エラブ海蛇小屋
 
 
 
 
久高島では神女(ノロ)を頂点とした祭祀組織によってイザイホーや数多くの年中行事を行って
きました。神の島として琉球王府によって特別な地位が与えられ、歴代国王が毎年危険を冒してまで
この島を訪れました。島で生まれ育った女性が神女になる儀式がイザイホーと言われ、12年に1度の
午年に行われていましたが、1978年の祭り以後後継者がなく、祭りは途絶えてしまいました。
 
 
久高殿 この広場でイザイホーが行われました。
 
 
 
 
イザイホーは途絶えましたが、年間20回を超える祭りは外間殿で現在も行われています。すべての行事が
月の満ち欠け、潮の満ち干による陰暦(旧暦)で行われ、沖縄のカレンダーや日記類にはかならず陰暦が
書き込まれています。
 
外間殿  この広場で現在もさまざまな祭りが開かれています。
 
 
 
 
沖縄の大学に在学中の孫との会食は沖縄料理中心で、初めていただく料理は珍しくて美味しく、楽しい
ひとときでした。骨折で動けなくなった宜野座夫人の歓迎のプラカード。
 
孫との出会い
 
 
 
翌日、昼食に入った食事処から眺めたモノレールと首里城で、ほぼ全体が見えました。
 
首里城を望む
 
 
 
 
八重山料理は、琉球王朝料理として知られる采飯を八重山風にアレンジしたものだそうです。
にがうりやパパイヤなど野菜が中心のあっさりしたお味で美味しくいただきました。
 
 
 
 
 
田(た)いもという里芋のような素材を生かした料理は、ホクホクとした食感が栗のようで美味しく、
応用範囲が広いようで、他でもいただきました。
 
 
 
 
パパイヤなどの煮物もあっさりといていて私の口にもあいました。ここのお店は沖縄在住の友人から
教えてもらいました。
 
 
 
 
 
最後は雨の中首里城に行きました。戦後廃墟と化した場所に沖縄の美術、工芸の総力を
あげて創られて、沖縄県民の思いが結集したこの首里城は一度は見たかった場所でした。
 
 
 
 
 
城内では琉球舞踊が踊られていました。
 
 
 
 
 
少しピンボケですが、沖縄の歴史と伝統が育んだ螺鈿細工や漆芸の粋が集められた久高島と縁の深い
首里城は、私の久高島への旅の終着点でした。
 
首里城正殿
 
 
 
このたびの沖縄への旅では、友人ご一家には大変お世話になり、その友情に感激しました。この方々のおかげで
2泊3日の短い旅は思い残すことのない充実した時間で、思い出深いものになりました。
 
最後のプラカード
 
 
 
 
雨のなか飛び立った飛行機が雲の上に出たとき夕日が沈みつつあり、印象深いものがありました。
 
飛行機の窓から
 
 
 
 
1978年の久高島最後のイザイホーの時、日本全国で話題になり、私も関心を持ちましたがその内容を知る術が
なく、長い時間が立ってようやくその場所を訪れることが出来て感慨無量です。1960年代まで風葬が根付いていた
久高島は今も祈りの島です。私たちが忘れてしまっていたものを蘇らせてくれる島でもあり、久高島も含めて自然と
ともに歩む沖縄では、日本本土とは異なったゆっくりとした時間が流れていて、私の気づかれを癒してくれました。