11 Jun. 2010

雑誌「ひまわり」と中原淳一

 
                       Part1      川島道子
 
 
戦後まもない時代にもてはやされ、いつとはなく忘れ去られてしまったと思っていた
中原淳一の展覧会が先日開かれて、今頃何故と思いながら見にいきました。
会場を飾る多くの絵とともに感銘を受けたのは中原淳一の言葉、それは生き方を
問いかけるメッセージでした。そして中原淳一が今見直されている意味を知り、
私の少女時代を豊かににしてくれた雑誌「ひまわり」と中原淳一の果たした役割を
紹介できればとレポートにしました。
 
 
 
 
 
私が小学校6年生の時にあの太平洋戦争は終わりましたが、当時の日本は、
空襲による焼け跡が残り、戦災孤児や傷痍軍人の姿が街のいたるところに
見られ、食料難のなか人々は食べ物を求めてさまよう状況でした。

 
 
 
 
それは食料にとどまらず物不足は深刻で、多くの物資が配給制度のもとにおかれ、
闇物資が出回り混乱が続いていました。その時代に中原淳一によって雑誌
「ひまわり」が創刊され、生活物資が窮乏する中でも両親は私たち姉妹に、私は
「ひまわり」妹には「少女クラブ」と少女雑誌を購入してくれました。

 
 
 
 
配給制度の限られた紙数で作られた「ひまわり」は紙質はよくありませんでしたが、
そこには中原淳一の少女たちに寄せた思いが宝石のようにちらばめられていました。

 
 
 
格調高い企画や読み物、ファッション、手芸、お菓子づくりに悩み相談まで、
表紙から裏表紙まで細かい活字やイラストで埋め尽くされていました。

 
 
戦中、戦後と飢えに苦しみ、軍国主義から民主主義への価値観の大転換に
出会って、なすすべもなく、この世に楽しいことや美しいものがあることさえ忘れて
しまっていた私たちにとって、雑誌「ひまわり」の登場は夢と希望を与えるものでした。
 
 
 
 
戦争が終わるまでは、それなりの軍国少女だった私が、8月15日を境に目まぐるしく
変わる状況を子どもなりになんとか受け入れていけたのは、両親の庇護とこの
「ひまわり」のおかげだったように思います。

 
 
 
私は戦争中、疎開先での不慣れな生活に健康をそこね1年間休学をしました。その間に
軍国主義教育の見直しが行われて学区制が変わり、私は新制中学の1期生として戦後の
スタートをきりました。そのころ出合ったこの「ひまわり」は私の精神形成に大きな影響を与えた
ように思います。

 
 
 
「ひまわり」に登場する少女たちは、中原淳一の特徴である大きな瞳にすらりと
延びた手足、洒落たデザインの華やかなドレスなどすべてが夢の世界でした。
 
 
 
私の手元には昭和23年発行の「ひまわり」が8冊ありますが、大人になっても
結婚しても手放せず、長いこと戸棚にしまいこんで忘れていました。少し前から
この古びた雑誌が気にかかり、手の届くところにおいて眺めておりました。

 
 
 
中原淳一の展覧会はそういうときに開かれ、60年以上前に世の中が混乱て人の
心が荒れていた時代に登場した中原淳一という人物への関心とその時代を
思い返しております。私が「ひまわり」を手にしたとき一番印象に残ったのは影絵でした。

 
 
 
 
 
 
 
アンデルセン童話人形姫

 
 
 
 
 
 
 
オペラから蝶々夫人

 
 
 
 
 
 
 
 
童話やオペラの世界などよく知られた物語が影絵になることで、省略された美しさを
想像しながら心うばわれて眺め、影絵の美しさをこの「ひまわり」で初めて知りました。

 
 
 
また世界の名作も中原淳一の挿絵で紹介されました。

 
 
 
ゲーテの「若きウエルテルの悩み」や. ビアトリクス・ポターの「少女パレアナ」、ディケンズの
作品などからは刺激を受けて、父の書棚や友人から借りて読書に夢中になり、「ひまわり」は
私の読書の世界をいっきにひろげてくれました。

 
 
 
「ひまわり」の執筆者には川端康成をはじめ吉屋信子、芹沢光治良、村岡花子、
菊田一夫、檀一夫、壺井栄、サトウハチロー、内村直哉、河盛好蔵などの作家が
揃い、その内容に私たち少女は引き込まれていきました。

 
 
 
 
口絵やカット、挿絵は中原淳一をはじめ蕗谷虹児、初山滋、杉浦幸男、
松本かつじ、岩田専太郎、高畠華宵、長沢節、岡部冬彦などが腕をふるい
ました。

 
 
 
なによりも少女たちを魅了したのは中原淳一描くファッションで母がひまわりを見て
作ってくれた襟の広いワンピースは今も忘れることができません。

 
 
 
戦時中のもんぺ姿から抜け出せなかった少女たちにとって、ひまわりで
提案されるデザインは夢の世界のでした。

 
左から二人目の襟の広い服を母が作ってくれました。
 
 
インテリアなどと言う言葉もないころに、「ひまわり」は住まいは寝起きするだけ
ではなく夢をつくる所として提案されて当時の少女たちに大きな夢を与えました。

 
 
戦後の復興はゆっくりと確実にすすみ、物資も出回りはじめて、「ひまわり」で
中原淳一が提案した世界は現実のものとなりはじめ、戦争が終わったことを
実感させてくれました。