20 Feb. 2010

「いろは島」を訪ねて
                           川島道子
 
1月25、26日新年会をかねて妹夫婦と佐賀県のいろは島に行ってきました。
当日は午前中まで降っていた雨も午後にはあがり、青空が広がってきてほっと
しました。
 
 
 
いろは島は伊万里湾にうかぶ島々の総称で、48の島があることから名付けられたようです。
写真右下の建物が私たちの泊まった国民宿舎「いろは島」です。この写真は国民宿舎の
写真を使わせてもらいました。
 
 
 
国民宿舎の眼下にひろがる砂浜は人工的に作られたもののようでしたが、波静かな伊万里湾に
とけこんでいて自然な印象を受けました。
 
 
 
 
海岸に沿って散策していましたら、前方にはね橋でつながった島のかわいい建物にひかれて
はね橋を渡っていきました。
 
 
 
「愛と冒険の島」、ここまで来て今から10年以上前に子どもや孫たちと来たことを思い出し、
島内の色々な遊具施設に当時の記憶がよみがえってきました。夏の賑わいを予想させる島の
たたずまいに、今もここは家族ずれの憩いの場所であることを実感しました。
 
 
 
 
部屋に戻ると日没が見られるとあわててカメラをかまえましたが、タッチの差で日は沈み残念でした。
しかし日が沈んだ直後の輝きの素晴らしさにシャッターを押し続けました。
 
 
 
 
前日の経験から今度は朝日の昇るのをキャッチしたいとカメラをかまえて待機していました。
 
 
 
 
前方の山ぎわを目をこらして待っていますと、稜線のすぐ下の木の間がきらきらと瞬き始め、
朝日が昇りはじめました。木立を透かすようにして朝日が見えたのには感動しました。
 
 
 
 
今までいろんな場所で朝日の昇るのは見てきましたが、こんな光景は初めてでした。
自然の営みの壮大さと太陽の恵みを実感したひとときでした。
 
 
 
 
 
日が昇りきった冬とは思へない静かな伊万里湾の朝です。
 
 
 
 
国民宿舎の背後の高台にある展望台からの眺めです。ここからは多島海の美観が映える
伊万里湾が見渡せます。
 
 
 
 
 
前日の雨が嘘のような快晴のもと鷹島にやってきました。元寇といえば博多とばかり
思っていましたのでこの表現にちょっと驚きました。ここは長崎県になります。
 
 
 
 
昨年4月に開通したばかりの鷹島肥前大橋。佐賀県の唐津市肥前町と
長崎県松浦市鷹島町を結ぶ橋です。
 
 
 
 
 
 
 
鷹島に来た目的はモンゴル村を訪ねることでした。
 
 
 
モンゴル村にはモンゴルから運んできた宿泊用ゲル(パオとも言う)が30棟点在しています。
 
 
 
 
 
中は思ったより広く明るく、想像していたものより色彩がはなやかな感じがしました。
 
 
 
 
 
 
 
ちょっと横になってみました。きっとこうして寝起きしていたのでしょうね。
 
 
 
 
モンゴル村の丘陵地からは伊万里湾と外海が一望に見えました。義弟とのツーショット。
 
 
 
 
この海域がいかに多くの島々でなりたっているかがよくわかる海岸線です。
 
 
 
 
モンゴル村の展望台からは、壱岐や対馬が遠望できて驚いてしまいました。
 
 
 
 
水平線の右側が壱岐、左側に薄く見えるのが対馬のようです。前日の雨に洗い流されたのか
空気が澄んでいて遠くまで見えたのは幸運でした。
 
 
 
 
鷹島にモンゴル村がなぜあるのかが理解できました。
 
 
 
 
 
元寇といえば博多が戦場のように思っていましたが、この鷹島も戦場となったようで、以前から
海底より引き上げられた遺物が話題になっていたことをここにきて思いだしました。
 
 
 
 
館内には元寇を描いたパネルや海底遺物が展示してあり、職員の方が説明をしてくださいました。
撮影は禁止ですので埋蔵文化財センターのホームページから写真をお借りしました。
 
 
 
 
文永の役(1274年)では、博多や鷹島が戦場になり、弘安の役(1281年)では鷹島沖
に集結した第二次日本征討軍4400隻の元軍が、大暴雨風により一夜にして壊滅的打撃
を被りました。元寇終焉の地として知られているようです。
 
 
 
 
この暴雨風については、さまざまな研究の結果、最大瞬間風速54、57mの昭和29年の
洞爺丸台風に匹敵する台風ではなかったかと言われています。海底から引き上げられた遺物は
脱塩装置のついた水槽につけて保存されています。
 
 
 
 
 
昭和55年から3カ年計画で始まった鷹島沖海底調査は歴史学、考古学、郷土史などの他、
船舶工学、水中音響工学、潜水技術などの人文科学系や工学関係などのさまざまな学問
領域の研究者によって行われ、元寇という歴史的事件が水中考古学の立場から解明されて
いきました。海底から引き上げられた壷などの品々。
 
 
中世の日本を震撼させた蒙古襲来については、子ども時代に聞かされた蒙古軍の
残虐さや、今も地名になっている防塁や、近くの祖原山が蒙古軍の基地であったことなど
から戦場は博多と思っていましたが、鷹島も戦場となり蒙古軍終焉の地であったとは
はじめて知りました。戦争中に神国日本の象徴として言われていた神風の実態がわかった
のはこの鷹島行きの収穫でした。アジアからヨーロッパまで席巻し、すべてを破壊してなにも
建設しないといわれた蒙古軍(元軍)に日本が蹂躙されなくて本当に良かったと思いました。
 
 
 
 
 
福岡、佐賀、長崎と玄界灘に面した海岸線は玄海国定公園に指定されているだけに
海洋公園として素晴らしく、展望台からは壱岐、対馬が遠望できて、大陸とのつながり
を実感させるものがありました。古代からの交流を物語る歴史と地理的条件と自然の
美しさに、今回のドライブ旅行はまさに歴史とロマンをたずねての旅だったように思いました。
 
この3月で80歳になられる義弟のおかげで、こうしたドライブ旅行を楽しめることができて
感謝しています。