7/4 2005掲載 

神話の里を訪ねて ・・・・・ 川島道子
 
今年も6月24日から姪の住む総社(そうじゃ)に妹夫婦と訪れ、
昨年見残した古代吉備文化の跡をたどりました。
まずは全部の神様を一つところに集まってもらって祭った神社、備中総社宮にお参りしました。
 
古代に吉備国府が置かれたときに、備中国の主な神社の神様324柱を合祀して創建されたと言われています。
市名の由来も
ここからきているようです。

 
いろんな神様がいらっしゃるわけですから、どんな願いも聞いてもらえるオールマイテイのお宮さんだそうです。私もお願いしました。

 
長い回廊を背景に三万平方メートルの広さの大池は、私たちの先祖がまだ庭園概念を持っていない遠い時代に造られ神池、神島と考えられていたようです。

 
形式化された庭にはない自由な配置は奈良、平安朝以前の古代に、渡来民族が定着して祖先を祭り、一族の繁栄を祈るために池を掘り
島を築き石を
立てて神池、神島としたのではないか、そしてこの場所を利用して後代に総社宮ができたのではないかとと言われているようです。
岡山の名庭園の一つになっています。


 

岡山は桃太郎伝説とともに桃太郎に退治された鬼の温羅(うら)伝説も有名で、桃太郎の原型の吉備津彦(きびつひこ)と温羅の戦いの後が至る所にあり、
矢喰神社もその一つと言われています。

 
私の後方の森が矢喰神社です。小さな神社の境内には巨岩が大小5ケ並んでいて矢喰の岩と言われています。

 
 
 
吉備津彦の放った矢が温羅の右目に命中。噴出す血が流れた血吸川になり鯉に変身して血吸川にもぐれば吉備津彦は鵜になって温羅の鯉をつかまえた
ところが鯉喰神社となるという風に、その戦いの痕跡が川の名前や神社として残っています。

 

桃太郎のモデルとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祭った吉備津神社。吉備津彦命が退治した鬼とは一説では鉄の文化を持った渡来人温羅と
考えられているようです。温羅伝説には諸説いろいろあって古代の吉備地方の状況が推測できて面白くまた考えさせられるものがあります。

 
写真がちょっとぼけてますね。

 
 
 
石段の上にみえるのが重要文化財の北隋神門。それに続く山門をくぐりますと拝殿になります。

 

拝殿正面

 
 
拝殿を横から見たところです。

 
期待の本殿は修復中で全体像が見づらく残念でした。

 

そこでインターネットで検索しました画像を紹介します。

 
本殿は入母屋屋根を二つつなげた形をしていて、これを比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)と言うそうです。これに拝殿を接合した建物全体を
吉備津造(きびつづくり)と言い、本殿、拝殿ともに国宝になっています。創建年代はわかりませんが、南北朝時代に焼失し将軍足利義満が
吉備国守に命じて三十数年かけて再建しましたが、他に例のない建築様式だそうです。

 
本殿の西側斜面の地形にそって360mもの回廊が続き、回廊の途中に鳴釜の神事が行われる御釜殿があります。

 
 

写真では見えない右側奥にある釜にせいろを乗せ玄米を炊くときの音で吉凶を占う神事で、伝説ではこのお釜殿の地中深くに吉備津彦に負けた温羅の首
が埋められており、温羅が唸って吉凶を知らせていると言われています。鳴釜の神事については江戸時代の上田秋成の「雨月物語」でも取り上げているようです。

 
車中から見た吉備平野は田植えも終わり秋の実りを予想させ、この豊かな土地が古代吉備文化をうみだしたのではと思いました。

 

翌日は今度の旅行の目的でもある国立のハンセン病療養所「長島愛生園」を訪ねました。予約してましたので歴史館でボランテイアのガイドさんの説明を聞き、
ビデオを見た後島内を見学しました。背景のつたのからまった建物が歴史館です。

 

風光明媚な瀬戸内海に浮かぶ長島、人々の悲しみや苦悩を封じ込めたその歴史を知りますと周りの美しい風景も色あせたように感じられました。
ここで感じたことはまたの機会にしたいと思います。

 
翌日次の目的地に向けて岡山を出、中国山地を超えて行く途中蒜山(ひるぜん)高原のパーキングエリアから見た鳥取の大山です。
あいにく頂上部は雲で全体が
見えなかったのは残念でした。

 
日本海沿いにたどり着いた目的地はいつか来てみたいと思っていました出雲大社でした。

 
長い参道入り口で。猛暑のせいか人影がありません。

 
静まり返る出雲大社拝殿。「因幡の白兎」や「八岐の大蛇」、「国引き」や「黄泉の国」「国ゆずり」など、子どもの頃から馴染んできた
出雲神話の世界の象徴、出雲大社は
一度は来たいと思っていた所でした。その後358本もの大量の銅剣が発見された荒神谷遺跡
(こうじんだに)や全国で最多の銅鐸が発見された加茂岩倉遺跡
(かもいわくら)の存在は古代出雲地方に巨大な勢力がいたことを
想像させ、関心を
高めていました。

 
出雲大社本殿(国宝)大国主命を祭っています。

 
本殿を後方から見たもので大社造りと言われている建物です。

 
出雲大社独自の拝礼作法。
ここの宝物館で「雲太、和ニ、京三」と言う言葉を初めて知り、それが建物の高さを「出雲太郎ー出雲大社」「大和二郎ー奈良大仏殿」
「京都三郎ー
平安京大極殿」を意味するもので、平安時代まで言われていたようです。それを裏付けるように拝殿裏の地下から3本で
1本に束ねた木柱が発掘され
それは直径が三米になる巨大なもので立ち会った関係者を驚かせました。
当時の建物は今の倍48mあったそうです。

 
写真がぼやけていて申し訳ありません。

 
拝殿裏に実物大の見本が設置されています。

 
発掘後柱の後が埋め戻されています。

 
直径3mの柱跡。謎にみちた出雲大社をはじめ出雲神話は『古事記』や『日本書記』に載っている神話群の3分の1を占めると言われています。
そして神話にちなんだ自然や古社などが、出雲のいたるところに見出され出雲が神話の国といわれるのももっともで興味がつきません。
古代日本が
統一されるまでには、日本の各地には地域独自の豊かな文化が花開いていてその名残が文献や名所旧跡に見出され、
今も息ずいているように思います。
体力、気力があればいつかそれらを見て回りたいなと思っています。

 

出雲大社の後日本海沿いに南下し浜田で一泊して、また中国山地をこえて帰ってきました。往復1300k、猛暑の中義弟一人の運転による長距離ドライブは
大変でしたが、私は念願の神話の里を訪ねることができて義弟に感謝しております。出雲大社の本殿と拝殿の写真は義弟のを使はせてもらいました。

 

参考資料
 
「岡山の名庭」 写真花田富士雄  文山本利幸    山陽新聞社