27 Apr. 2016



京のお花見旅行(6)平野神社 平安神宮

T.H.


《平野神社》

平野神社の桜は有名で今丁度見頃と聞き、急遽行ってみることにしました。

今にも雨が降りそうなお天気でしたが、旅行社の旗を持った人もいて
参道はこのとおりの人出です。




イカ焼き(美味でした)、とうもろこし、クレープ・・・




昼間からお花見の宴です!




平野神社の由来は古く、桓武天皇の生母の高野新笠(たかののにいがさ)の祖神が
平安遷都に伴いここにに祀られたものとのことです。

朱印に、おみくじに、お守りに長い行列が出来ていました。
提灯の紋が桜なのも印象的でした。
本殿は平野造りという独特のもので重文だということです。



雨が降り始め、急いで次へと向かいました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



《平安神宮》


すでに夕方も近い散策となりました。

実はこの平安神宮の大鳥居を見るのを楽しみにしていたのですが
神宮から2ブロックも離れたところにあるとは知らず、
結局時間切れになり、サイトから画像をお借りすることになり反省しています。

                                 参考画像

平安神宮は1895年、平安遷都1100年を記念して京都で開催された
国内勧業博覧会の会場施設として建設されたもので、
主祭神は平安京創始の第50代桓武天皇
平安京最後の第121代孝明天皇です。

建物は平安京当時の大内裏の正庁だった朝堂院
5/8の縮小サイズで一部復元されました。

平安京 大内裏 朝堂院 見取図

参考画像
http://ameblo.jp/taishi6764/entry-11972945527.html



平安神宮の社殿の配置はこのようになっています。

 
参考画像 
http://blog.goo.ne.jp/kimmy_v-kobe/e/6a2023ca6d266885018d8c418b12d72a




こちらは正門の応天門(重文)です。
応天門は平安京の大内裏内の正庁の朝堂院の正門で、795年に造営されました。
1177年の大火で焼失して以来再建されていなかったそうです。





平安京の応天門の扁額は空海によるもので
当時、応の字の「点」の書き忘れに気付いた空海が扁額を降ろさずに
下から筆を投げて点を足し、「弘法も筆の誤り」の諺となったそうです。
現在の扁額は高野山の大阿闍梨を務め、空海の書法を極めた方によるものとのことです。






応天門を入ると神社内の広いこと!



中央に立つ大極殿です。
平安京の昔、天皇が政務を執り、朝廷の儀式が行われた
大内裏の朝堂院の大極殿を模したものです。




大極殿の両側の建物は
屋根中央と四隅に望楼を設けた豪華な造りです。

白虎楼(向かって左)




蒼龍楼(向かって右)




こちらは額殿(1940年築)です。
奉納された額や絵馬を掛けて置く建物で絵馬堂、または額堂とも呼ばれています。




神楽殿(かぐらでん 1940)
神楽を奉納したり箏曲を奏でたりするするところです。




それでは社殿を囲む平安神宮神苑に入りましょう。



神苑

平安神宮神苑は社殿を囲むように、東、中、西、南の4つの庭からなっています。
作庭は名人7代小川治兵衛によるもので、総面積約1万坪の池泉回遊式庭園です。


こちらは南神苑に咲く、八重紅枝垂れ桜です。
谷崎潤一郎の「細雪」にも登場とか、
今回の旅行でもダントツに印象に残る可憐な紅色でした。









池の周りには花菖蒲も植えられていました。




竜の背中を模した臥龍橋と呼ばれる飛び石の橋です。





こちらは泰平閣です。
こちらも同じく 京都御所より移築された、水辺の楼閣です。




桜に囲まれた建物は尚美館 京都御所より移築されたものです。








反対側からの眺めも素敵です。

神苑では小川治兵衛による変化に富んだ雅やかな景色を楽しむことができました。
京都駅から近いところにこんなに美しい自然が残されているのは
本当に素晴らしい事と思います。




もう一度大極殿の左近の桜を見て
平安神宮を後にしました。




タクシーが日曜の渋滞に巻き込まれ、
結構ギリギリで新幹線に間に合いました。




それでは「のぞみ」に乗って帰りましょう。




お天気がイマイチでしたが
2泊3日の京のお花見旅行は、何とか楽しく無事に終わりました。

最後までお付合い頂き有難うございました。


ー終ー