26 Apr. 2016

京のお花見旅行(5)二条城

T.H.


関ヶ原の合戦後、徳川家康上洛の際の宿泊所として京都に二条城を築き
1603年、征夷大将軍就任の賀儀を行いました。
その後3代家光の時に、伏見城の天守を移築して大改修が加えられ
桃山時代から江戸時代初期の
建築、造園、障壁画等の様式を用いた城郭が完成しました。

幕末の1867年、二条城黒書院での15代将軍慶喜による大政奉還の後
城は宮内省の所管となり(1884)二条離宮と改称されました。
そして1939年(昭和14)に京都市に下賜され、
現在の正式名称は元離宮二条城となっています。

二条城前の石碑を撮ったのですが、よく読んでみると
昭和14年にここが「旧二条離宮」の名で史跡に指定された事が記されていました。





こちらは外堀に面した二条城 東南隅櫓(すみやぐら)です。
隅櫓は当初、外堀の四隅に建っていましたが、
現在はここと西南隅櫓の二カ所だけが残っています。





東大手門(重文)は工事中でカバーが掛けられていましたので、
サイトから工事前の画像をお借りしました。

                              参考画像


パンフレットの二条城マップです。
外堀と内堀の位置がわかります。

                       参考画像




《二の丸御殿 国宝》

二の丸御殿は桃山時代の武家風書院造りの代表的なもので、
①車寄と遠侍、②式台、③大広間、④蘇鉄の間、⑤黒書院、⑥白書院
6つの建物がジグザグに並んでいます。
内部は撮影禁止でしたので、サイトからの画像をお借りしました。


①車寄と遠侍(とおざむらい)

車寄二の丸御殿の玄関にあたります。
牛車で入れるように入り口を広く取ってあり、破風の欄間の彫刻が大変豪華でした。




車寄につながる遠侍二の丸御殿の中では最大の建物です。




大名達が待機する一の間から三の間虎の間と呼ばれ
虎が遊ぶ威圧的な襖絵の部屋でした。

遠侍 虎の間 「竹林群虎図」 




勅使の間将軍が勅使と対面するところです。
将軍は一段低いところに座り、朝廷への敬意を表わしました。

遠侍 勅使の間 「青楓図」




②式台

登城した大名と老中職が挨拶を交わす場所です。
将軍への献上品はこの部屋で取り次がれました。





③大広間 

大広間は将軍と大名達が対面する最も格式の高い部屋で、
模様入りの格天井豪華な障壁画が特徴です。

大広間 一の間 二の間 「松孔雀図」狩野探幽




対面の際には、一段高い一の間に将軍が座り、
臣下の大名達は低くなっている二の間に座りました。
下図のような人形の展示がありました。




4の間将軍の上洛の時に武器をおさめた場所で
ここにも狩野探幽(1602〜1674)の有名な障壁画があります。

大広間 四の間 松鷹図 狩野探幽 

                         参考画像


                          参考画像



④蘇鉄の間


大広間に隣接した小さな建物です。
この部屋から二の丸庭園の蘇鉄がよく見えたことから名付けられました。
庭園の蘇鉄は、この時期はまだ寒さよけに、こもを被せられていました。




⑤黒書院

黒書院は将軍と親藩・譜代大名との内輪の対面所です。
大広間よりも小規模ですが、より技巧的で洗練された空間でした。

                参考画像


黒書院 二の間 「桜下雉子図」 狩野尚信

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黒書院は15代将軍慶喜大政奉還を行った部屋として有名です。

頓田丹陵筆『大政奉還』聖徳記念絵画館蔵

                参考画像



⑥白書院

白書院は将軍の私的な居間と寝室です。
二の丸御殿の中では最も規模が小さく、障壁画はすべて水墨山水画でした。



二条城の障壁画は約3000点に及び、そのうち1016点は重文です。
ほとんどの画は狩野探幽の画家集団によって
1626年の後水尾天皇の行幸に備えて描かれました。
探幽が24歳の時ですからその天才ぶりに驚かされます。

二条城の貴重な障壁画を恒久的に保存するため、
式台、大広間、黒書院及び白書院の障壁画は
現在はすべて模写に取り替えられ
原画は順次城内にある「築城400年記念展示収蔵館」に収蔵、展示されています。

二条城障壁画のパノラマはこちら
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/nijoujou0930amana-p/nijoujou0930amana-p/tour.html



《二の丸庭園 特別名勝

二の丸庭園は御殿の各部屋からの眺めに配慮して造園されています。
左から、庭に面した大広間、式台、遠侍の建物です。

                               参考画像


二の丸庭園は1603年頃作庭された書院造り庭園です。
その後1626年の後水尾天皇の行幸の際に小堀遠州により
桃山様式の池泉回遊式庭園に改修されました。

後水尾天皇(1596〜1680)には
徳川家から2代将軍秀忠の娘和子が中宮として入内し、
1623年には興子内親王(のちの明正天皇)が誕生していますので
その行幸を迎える準備には並々ならぬものがあったようです。




池には蓬莱山、鶴島、亀島が浮かべられました。









こちらは二の丸から本丸に通じる東橋本丸櫓門(重文)です。




東橋から見た二条城の内堀です。





《本丸御殿 重文

本丸御殿の創建当時の建物は、1788年の大火で焼失しています。
現在の建物は、幕末期に孝明天皇や妹の皇女和宮が過ごした桂宮邸
御常御殿、書院、台所、玄関などを維新後の1893年頃に移築したものだそうです。

こちらは旧桂宮邸の御常御殿(おつねごてん)で、本丸庭園の遊歩道に面しています。
公家風の建物で江戸期としては珍しい3階建てとなっています。





内部は耐震不足の関係で現在は非公開となっているそうですので
サイトからの画像をお送りします。


こちらは御常御殿の御座所 「松鶴の間」です。

                             参考画像      


こちらは公家風の髪型や装束の女性達です。

                       参考画像


3階からの本丸庭園の眺めです。

                      参考画像


こちらは別棟の書院の内部です。

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こちらは台所です。広いですね。

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こちらは別棟の本丸御殿玄関です。




こちらも非公開の玄関内部です。

                          参考画像
http://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-36.html




《本丸庭園》


本丸庭園は本丸御殿に桂宮邸が移築された後に
1896年に明治天皇の命で完成しました。
池や枯山水でなく、芝生と植樹を中心とした回遊式の庭園です。




素晴らしく手入れされた松です。




本丸の西南の角にある天守閣跡から見下ろした内堀と西橋です。




本丸御殿の建物群が見えます。




この石垣を通り抜けて西橋を渡り、本丸を出ます。




二の丸の休憩所前に出ました。




二の丸から見た内堀の周辺。
低く小規模ですが美しく端正な本丸の石垣です。





《清流園》


清流園は二の丸の北大手門付近1965年に作られた和洋折衷庭園です。
造園の際には江戸時代の豪商、角倉了以(1554〜1614
屋敷の一部や庭石や木が提供されました。



茶席と喫茶の和楽庵がありました。




ちょっと休憩です。




抹茶のシフォンケーキがありました!




清流園のお庭を眺めながらコーヒータイム。




こちらの建物は旧角倉了以邸から移築した香雲亭です。




お花見も出来ました。







こちらは北大手門(重文)です。




爽やかな枝垂れ桜がありました。




こちらは可愛い紅枝垂れ桜の森です。




美しい立ち姿の桜です。



広い二条城を堪能し、隅々まで美しく管理している京都市に
敬意を表しつつ、次へ急ぎました。

ー続くー