19 Apr. 2016


京のお花見旅行(4)金閣寺 龍安寺

T.H.

一夜明けた4月3日(日)です。
京都駅のホテルロビーでは早朝から外国人観光客のチェックアウトや
カフェでの賑やかなモーニングコーヒーの風景が見られました。




洋食の朝食会場はすでに欧米のシニアの団体が並んでおり
時間がかかりそうだったので、和朝食にしました。
やはり外国からの観光客がずいぶん増えているのですね。




京都駅の近代的で大胆なデザインは
古都の新しい機能や可能性を感じさせてくれます。






《金閣 鹿苑寺》

お花見ではありませんが
地下鉄とバスを乗り継ぎ、初めて鹿苑寺金閣寺)へやって来ました。
こちらの黒門より入ります。




木立の参道をまっすぐに進みます。




つきあたりが総門でした。




総門脇に案内板がありました。




この辺り一帯は藤原一族の西園寺公経(きんつね)が鎌倉時代に建てた山荘でしたが
3代足利将軍義満(1358〜1408)が譲り受け、
39歳で壮大な北山殿を造営(1397)しました。

義満は室町の「花の御所」から、この北山殿へ移って自らの政治を行い
また、天皇や明からの使者をもてなす迎賓館にしました。

義満の死後(50歳)、遺言により北山殿は
釈迦の骨を納めた舎利殿のみを残して解体され、
義満の法名の鹿苑院殿にちなみ、鹿苑寺という 名の禅寺になりました。

現在は舎利殿の金閣が有名になり、通称金閣寺と呼ばれ
銀閣寺(慈照寺)と共に、臨済宗相国寺派の山外塔頭寺院となっています。
相国寺は夢窓疎石に禅を学んだ足利義満が1392年に完成させた寺です。

足利義満像 室町時代 鹿苑寺蔵




参拝受付所の横に
白壁と木組みの庫裏(くり)がありました。




庭園の方へと急ぎます。




金閣です!
清明な景色と金の楼閣がしっくり馴染んでいます。




金閣が姿を映す鏡湖池(きょうこち)に
細長く浮かぶのは葦原島(あしはらじま)で、
豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)の日本を表しています。




右の小島は左の葦原島へ向かって泳ぐ亀を表しています。

大小の島のほか、諸大名が奉納した名石も名前を付けられて配されています。
見えにくいですが葦原島の右端にある右斜め上を向いた石は細川石です。




こちらは金閣側から見た大小の島々の眺めです。
左の横長の島が葦原島で、右の2つの小島が鶴島亀島です。




上図の右の2つの島付近を下に拡大してみました。

左端の縦長の石が赤松石
鶴島の手前で首をもたげているのが明の九山八海石、
鶴島の後ろに隠れている3角の石が畠山石
これらは大変な名石なのだそうです。




池に面した一角には方丈(本堂)が建っています。
1678年に後水尾天皇の寄進により再興されました。




方丈の北側の庭園です。




方丈北側には足利義満遺愛の舟形をした陸舟(りくしゅう)の松の古木があり
京都三松(金閣寺・宝泉院・善峰寺)のひとつとされています。









金閣は3層構造の楼閣建築で
各層に別々の建築様式を採用したユニークな構造になっています。

1層は白木が用いられ、
2層、3層は漆の上に金箔が貼られ、
屋根は薄板で葺かれ、てっぺんには鳳凰が飾られています。





金閣の内部には入れませんのでサイトからの画像でご紹介します。

1層は寝殿造り法水院(ほっすいいん)です。
板張りで中央に宝冠釈迦如来坐像、左に足利義満坐像が安置されています。
         
      
                                参考画像


2層は武家造り潮音洞です。
観音菩薩坐像が安置され、その周囲を四天王像が守っています。
壁と床面は黒漆が塗られ、天井には飛天像が描かれています。

                                   参考画像


3層は禅宗仏殿造り究竟頂(くっきょうちょう)です。
床は黒漆、壁と天井は金箔が貼られています。
ここには仏舎利が安置されています。

                               参考画像
http://bubuchademo.blog.fc2.com/blog-entry-71.html



金閣寺は残念ながら1950年に放火により全焼しましたが
5年後にほぼ焼失前の状態に再建されました。
屋根の鳳凰は火災当日取り外されていたので無事だったそうです。




こちらは焼失前の鹿苑寺の画像です。

http://www.wikiwand.com/ja/鹿苑寺#/.E6.AD.B4.E5.8F.B2  参考画像



金閣の西側には小さな釣殿の漱清(そうせい)が付いています。




金閣の裏手に遊歩道が付いていました。

こちらは鏡湖池から少し上がったところにある龍門の滝です。
あまり水は出ていませんが、中国の故事、登竜門に因んで
滝壺から跳ね上がろうとする鯉の姿を表した鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。

このほかにも義満がお茶の水に使ったとみられる銀河泉(ぎんがせん)という泉や
手を清めたという厳下水(がんかすい)が残っています。




近くに夕佳亭(せっかてい)がありました。
江戸時代の鹿苑寺住職が後水尾天皇を迎えるために造った
茶道家の金森宗和好みの数奇屋造りの茶席です。

ここから眺める夕暮れ時の金閣の姿が大変美しい事から夕佳亭と名が付きました。

正面の床柱は有名な「南天の床柱」で、
明治初年に消失したため、明治7年に再建されました。




小高い道から金閣の屋根が見えました。
ここからの夕方の美しい眺めを想像しつつ次へ向かいました。





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《大雲山 龍安寺》

金閣寺からタクシーに乗って間もなく龍安寺に着きました。




有名な方丈庭園に行く途中に
鏡容池(きょうようち)という大きな池があります。




地味な禅宗のお寺を想像していましたが
先ず、池に咲くお花に迎えられました。




お庭がさらに続きます。










大変こころがなごむお庭です。




長い階段を登り、いよいよ方丈庭園のある庫裏を目指します。







龍安寺は禅宗の臨済宗 妙心寺派の寺院です。

この辺り一帯は平安時代の984年に創立された円融寺の境内でしたが
平安時代末期に藤原氏の徳大寺家の別荘となり
室町時代の1450年に守護大名の細川勝元が譲り受けて龍安寺を創立しました。
その後応仁の乱で焼失しますが、息子の政元が再興し
豊臣秀吉や、徳川家康の援助も受けて23の塔頭を有する大寺院となりました。
しかし1797年の火災により焼失し、
その後は塔頭の西源院の方丈が移築されました。

こちらが石庭拝観入口になっていました。




方丈(重文)へ続く通路に置かれた屏風です。




枯山水の石庭として名高い龍安寺の石庭(国の史跡及び特別名勝)は
室町時代末期の1500年ごろに作庭されたとのことです。
広さは25X10メートルで、白砂の上に15個の石が配置され
見る人の自由な解釈に委ねられています。


石庭が目の前に現れました。

















海外からの観光客もそれぞれ自由に解釈しているようです。




石庭を囲む築地の端も丁寧に造られており、趣がありました。




方丈の内部は質素ですが天井が高く、
渋い襖絵と共に石庭の雰囲気にふさわしいものでした。




方丈の外に出て、またお庭を巡ります。




独特な剪定の杉(?)の並木道もありました。




桜の花に見送られ、お寺を後にしました。



ー続くー