13 Apr. 2016

京のお花見旅行(2)醍醐寺

T.H.

5年前、高校の同期会旅行の際の友人たちの枝垂れ桜の画像に驚嘆して以来、
醍醐の花見」という言葉にすっかり魅せられ・・・
初めて醍醐寺にやってきました。
総門前は人の波です。




さっそく総門近くの三宝院に入りました。

こちらは太閤枝垂れ桜でしょうか。
大木なんですね。今年はちょっと遅かった?




こちらは同じ場所で撮られた同期会の画像。
何だかえらい違いです。




こちらも。
うーん、参った。

                        参考画像



気を取り直して三宝院の大玄関(重文 1598年築)へ。
こちらは1115年創建の醍醐寺の塔頭です。
内部拝観はここから入ります。




葵の間、秋草の間、勅使の間と通って行くと、
庭越しに豪華な唐門(国宝 1599)が見えました。




表書院(国宝)の縁側からは、豊臣秀吉が造った庭が拝観できます。

池に並んで浮かぶ小さな2つの島は、左が亀島、右が鶴島とのこと。
それぞれ盆栽のように美しい松で仕上げられています。
池の手前の枯山水の上に3個並んだ石は賀茂の三石と呼ばれています。




右上の四角い立派な石は藤戸石という名石で
当時、天下を治める人物が所有するとされていたとのこと。
秀吉の命により聚楽第より運ばれたそうです。




表書院の隣にある純浄観(重文 特別公開)からの眺めです
秀吉が醍醐の花見に使用したのち、ここに移築されたのだそうです。




渡り廊下の奥にある三宝院の本堂(重文 特別公開)です。
弥勒菩薩坐像(重文 1192年 快慶)を中央に
弘法大師 空海理源大師 聖宝が祀られていました。




こちらが三宝院の本尊の弥勒菩薩座像(快慶作 1192年)です。
大変美しく、素晴らしい仏様でした。

              参考画像



三宝院には同じく快慶作の不動明王坐像( 重文 1203)もあるそうです。
今回は拝観出来ませんでしたが、画像で観てみましょう。

               参考画像



同じく表書院に隣接した江戸時代初期の奥宸殿(重文 特別公開)です。
松月亭というお茶室も見えています。




この建物内の床の間の違い棚「醍醐棚」(画像左奥)と呼ばれ
修学院離宮「霞棚」桂離宮「桂棚」とともに
「天下の三大名棚」として有名だそうです。

                    参考画像



大玄関を出て庫裏(重文1598年)の前を過ぎ、境内の奥へ向かいます。




目指すは赤い毛氈の茶店ですが・・・
やはり枝垂れ桜はちょっと遅かったみたいですね。ま、いいか。




つい同期会旅行の写真と比べたりして・・・。
当時の幹事さん、素晴らしい満開にどんなにか皆さん喜んだことでしょう。
GOOD JOB!

                       参考画像



三宝院を出たところに、庭から見えた唐門(国宝 1599)が建っています。
朝廷からの勅使を送迎するための門だけあり
門全体が黒漆で仕上げられ、
大きな菊と桐の紋には金箔が施されています。
平成22年に修復され、新しくなりました。



ちなみにこちらは修復2年前の画像です。
また何百年か経てばこういう味が出るのかなと。

                                     参考画像



それでは醍醐寺の奥の伽藍へと進みましょう。




道沿いにも綺麗な枝垂れ桜が。





このお寺の伽藍の成り立ちはパンフレットやサイト等によりますと・・・


醍醐寺は平安時代初期874年に
開祖 理源大師 聖宝(832〜909)によって
伏見の醍醐山の山上(上醍醐)に開かれた真言宗のお寺です。
こちらは開山堂に伝わる理源大師の彫像です。

理源大師 重文 醍醐寺開山堂 鎌倉時代 1261 
http://daigoji.exhn.jp/explanation/



理源大師が教えを開いた上醍醐には
現在も当時のお堂の数々が点在し、信仰の場となっています。


https://www.daigoji.or.jp/garan/kami_garan_detail.html   参考画像



その後醍醐天皇(885〜930)の帰依により
醍醐寺の境内は、上醍醐から麓(下醍醐)まで200万坪に拡がり、
三宝院(1115創立)をはじめ多くの堂塔や塔頭が建てられ繁栄しました。

醍醐天皇 三宝院蔵 Wikipedia 参考画像


ところが応仁の乱や戦火により
醍醐寺は長い間荒廃したままでしたが、
1598年の豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に、
秀吉や秀頼の援助により現在の規模に復興されました。


今回は下醍醐の見取り図をたどりながら、仁王門から順々に巡りました。


                   青マークは今回の拝観  参考画像
https://www.daigoji.or.jp/garan/shimo_garan_detail.html



仁王門 1605

この門は、豊臣秀頼によって再建されました。
両側に立つ仁王像(重文)は1134年に造られたものです。




この門を通ると木立が深くなります。
お花見の幕や灯籠で気分が出ていいですね。





《清瀧宮本殿 重文 1517》

仁王門を過ぎた右に建つこの清瀧宮本殿
上醍醐からここに分身(1097)され、祀られたもので
1517年に再建されました。
小ぶりですが石垣の上に門と塀で囲まれた素敵な建物でした。





《金堂 国宝 1600》

醍醐寺に帰依していた醍醐天皇により926年に創立されました。
戦火による荒廃後、豊臣秀頼により1600年に紀州満願寺より建物が移築されました。




金堂の内陣には醍醐寺の本尊の
薬師三尊像(重文 鎌倉時代)と左右に四天王像(平安時代)が安置されています。
今回は中には入りませんでしたのでサイトの画像でお届けします。

                                      参考画像
http://blogs.yahoo.co.jp/abo54natsumi50/35181793.html



《五重塔 国宝 951》

930年に亡くなった醍醐天皇の菩提を弔うため
朱雀、村上天皇が15年をかけ完成させました。
その後の歴史の中で下醍醐の伽藍はことごとく焼失しましたが
この五重塔だけが残り、京都で最古の五重塔となりました。

古風な力強さが本当に素晴らしい塔です。



高さは約38mだそうです。




五重塔内部には貴重な両界曼荼羅真言八祖などの密教絵画(国宝)が描かれています。
こちらは心柱に描かれた大日如来です。

                       参考画像
https://ja.wikipedia.org/wiki/醍醐寺



《不動堂 1930》

ここには不動明王を中心とした5体の明王が安置されており、
この先の弁天堂観音堂と共に
醍醐天皇の1000年忌を記念して1930年に築造されたものだそうです。





《弁天堂 1930》

知識や学芸の女神である弁才天(七福神の一つ)が祀られています。





《観音堂 1930》

西国三十三観音霊場の第十一番札所となっています。



ここから先は次第に標高454mの山頂まで急な坂が続く上醍醐のエリアに入り
薬師堂(国宝)、青龍宮拝殿(国宝)、をはじめ古いお堂がありますが
往復軽く2時間はかかるととのことで、次回のお楽しみ(?)としました。



霊宝館

最後に、多くの寺宝が納められている霊宝館へと引き返しました。
この通りは境内でも最も桜が美しいところでした。




霊宝館内を見学しました。
醍醐寺には膨大な数の文物があるとのこと、
夕方でもあり、今回は急いで仏像だけを拝観しました。
中は撮影禁止です。




 薬師三尊像 国宝 木造 平安時代

薬師三尊は上醍醐の薬師堂(国宝)の本尊でしたが
防災に配慮して、現在は霊宝館に安置され、お勤めがなされています。
展示スペースは薬師堂になるべく近いものにと配慮されたとのこと。

            参考画像



薬師三尊像 中尊 国宝(913)

                 参考画像



薬師三尊像 両脇侍 国宝
(月光菩薩 及び 日光菩薩)

                  参考画像




木造虚空蔵菩薩立像 国宝

平成27年に重文から国宝に格上げされたことを記念して
今回の特別展示となりました。
小ぶりですので、ガラスケース内での展示でした。

             参考画像




霊宝館の周囲には枝垂れ桜の大木が咲き誇っていました。

























まだまだ夜桜まで観たかったのですが
時間もなく、醍醐寺を後にしました。

何度も来ないと、とても観きれない大きなお寺でした。
次回はぜひ三宝院が満開の時に!!

ー続くー