05 June 2016

2016年5月連休の旅(5)金剛峯寺


T.H.

老舗が並ぶ小田原通りに来ました。
連休ですが朝なのでまだ人通りは少ないようです。





金剛峯寺


弘法大師 空海が命名した金剛峯寺は元来は高野山全体を意味する名称でした。
現在の金剛峯寺は、
豊臣秀吉が亡母の菩提を弔うために建立(1593)した青巖寺を前身としており
明治の初め(1869年)に金剛峯寺と改称されたものです。

従って現在の金剛峯寺は一つの独立したお寺となっていますが
高野山全体を総括する伝統は受け継がれ、
高野山真言宗の総本山としての業務を行う宗務所が置かれています。
ちなみに高野山内の塔頭寺院(子院)の数は117あるとのことです。

総本山金剛峯寺と書かれた石の門柱の向こうに山門が見えました。





《 山門(県指定文化財)1593年


山門はこのお寺の建物の中で一番古い(1593年)建造物で
昔は天皇や皇族、高野山重職の来訪時にだけ使用されていました。
今でも一般のお坊さんは右のくぐり戸から入るのだそうです。

下の画像の提灯が示すように、金剛峯寺には寺紋が2つあります。
1つは左の「五三の桐」で、豊臣秀吉から拝領した青巌寺の寺紋、
       もう1つは右の「三つ巴」で、高野山の鎮守である丹生都比売(にうつひめ)神社の定紋です。




参考までに、こちらは三つ巴の幕が張られた、
室町時代建造の丹生都比売神社の楼門(重要文化財)です。

この神社には高野山の地主神である丹生明神
その子で弘法大師空海を山上へ案内したという狩場明神が祀られています。
丹生都比売神社と高野山の関わりは大変深く
高野山町石道(こうやさん ちょういしまち)という古道で結ばれていました。
神社、古道共に世界遺産に登録されています。

               参考画像


それでは境内の各建物やお庭を拝観してみましょう。



《 主殿(県指定文化財)1863年再建 


入って正面に立つ主殿の全景です。

主殿は江戸末期1863年)に再建された
東西の幅が 54 m、 南北の奥行きが 63 m の大変大きな建物で
変化に富む書院造りの屋根が横一列に連続して並び
格式と渋さを特徴としています。




表門を入って正面の建物の内部は大広間です
(ばん)といわれる吹き流しのような白い荘厳具が2本立っています。




そしてその右には、天皇・
皇族や高野山重職だけが使用した
紫の幕の大玄関(だいげんかん)があります。




さらに右には上級の僧侶が使用する唐破風の小玄関(こげんかん)付きの建物が続き
右端は一般の僧侶が出入する建物で、拝観者出入口にも使用されています





よく見ると主殿の桧皮葺(ひわだぶき)の屋根の上のあちこちに
天水桶が据え付けられ
長い常設の梯子も立て掛けられています。

高野山は開創以来高い木への落雷による火災が多く
この主殿も3回焼失していることから、
非常の際は類焼を防ぐため
僧たちが屋根に上って桶に溜まった雨水を屋根にまいた名残だそうです。





主殿の内部を拝観しました。
撮影禁止でしたので参考画像でお届けします。



〈大広間・持仏間〉


大広間は重要な儀式や法要が行われる場所です。
松の図狩野元信筆とされています。


                参考画像


持仏間の郡鶴図斉藤等室筆ということです。


                    参考画像


持仏間の本尊は弘法大師坐像(1680年)で、
両側には歴代天皇や歴代座主の位牌が安置されています。


           参考画像


廊下に置かれていた輿(こし)です。
高貴な方の乗り物でした。






〈梅の間〉

梅月流水図狩野探幽の筆になるものです。


                参考画像



〈柳の間〉

山本探斉による柳鷺図が描かれています。

この座敷は高野山に追放された豊臣秀次二代目関白)が
秀吉の命により1595年自害したことから
秀次自刃の間」ともいわれています。


                  参考画像


〈上段の間〉

昔は天皇や上皇の休息所として用いられ
現在は重要な儀式に使用されています。
壁は金箔総押しの書院造りで、
房のついた襖の向こうは武者隠しになっています。


                 参考画像


上々段の格天井にはすべて、花の木彫りが施されています。


             参考画像



〈 奥書院(県指定文化財) 

襖の絵は雪舟の4代目の雲谷等益(1590〜1644)
その息子の作とされています。
昔は高野山の中でも最高の部屋のひとつだったとか。

一番奥の部屋の右側に、暖房用の囲炉裏が見えています。


                   参考画像



高野山では冬の寒さを過ごすため、
土室(つちむろ)と呼ばれる、土壁で囲んで保温効果を高めた部屋に
天井まで届く大きな煙突の付いた囲炉裏が切られました。


               参考画像


囲炉裏にはこうして弁天様が祀られました。


              参考画像



こちらは廊下の板戸に描かれている見事な鶴の図です。






〈中庭〉

上段の間の前にある中庭は江戸期に作られました。






〈台所〉

正面に祀られているのは、台所の神様の三宝荒神です。

下の3個の釜で、1度に2石(280kg 2000人分)のお米を
炊くことが出来たそうです。





こちらは大人数の料理をこなす鍋類です。
台所の中はすすで黒く燻され、僧侶たちの力仕事の場でした。


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《 経蔵(県指定文化財)1679年

門を入って左手にある経蔵1679年建造のもので
大阪の豪商から釈迦三尊と併せて寄進されたそうです。
当時は大切なものは火災を考慮し、大きな建物から離して経蔵に保管しました。






《 鐘楼(県指定文化財)1864年

門を入って右手の鐘楼は金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼で
主殿と同時期の1864年に再建されたものです。
屋根や台の曲線が見事です。






《 会下門(えかもん)(県指定文化財)

境内の東にある素敵な会下門
江戸末期に建造された長屋門です。





門の反対側はこのように静かな雰囲気です。


                     参考画像




《 真然廟(県指定文化財)1640年

空海の甥にあたる真然大徳は804年に讃岐国に生まれ、
空海入定後、高野山第2世として56年の歳月をかけて
堂塔の建設に努め、大師の精神を伝えました

1640年に建立された真然堂は1988年の解体修理の際に
真然の舎利器が出土し、真然廟と改称されました。


              参考画像


真然大徳肖像 

 

          参考画像


このように廟が見える主殿の中からも
お参りが出来るようになっていました。





枯山水小庭です。
別殿(1934)の渡り廊下を通って蟠龍庭へ向かいます。







《 蟠龍庭(ばんりゅうてい)1984


蟠龍庭は1984年の「弘法大師御入定1150年」の際に
造園されました。
国内では最大級の石庭で、白い小石で表現した雲海の中を、
雌雄2匹の龍が奥殿の建物を守っている姿を表現しているとのことです。





右は阿字観道場(1967)です。





左は勅使門で右は奥殿(1934)です。






繋がった石は龍の背中のようです。













江戸時代以降の比較的新しい建物が主流を占めている金剛峰寺でした。
拝観して、金剛峯寺の今日までの再建の歴史を感じ、
現在も続行している力を感じました。


ー金剛峯寺の案内図ー



                              参考画像


ー続くー