22 May 2016

2016年5月連休の旅(2)徳川家霊台 霊宝館 金剛三昧院

T.H.


徳川家霊台(重要文化財)


不動坂口から下る道には古風なお寺の塀が続きます。





程なく徳川家霊台に着きました。





山門をくぐって中に入ります。





山を背にした小高い場所に大変立派な霊廟が二つ並んでいました。
奥の鳥居が立っているのが徳川家康(1543〜1616)、
手前が2代秀忠(1579〜1632)のものです。
3代家光によって10年の歳月をかけて1643年に創建されたそうです。





こちらは江戸時代に描かれた霊台です。
当時は大徳院というお寺でしたが、現在は霊台だけが残り
真言宗総本山の金剛峯寺の所管になっているとのことです。


                   参考画像


こちらが家康の霊廟です。





そしてこちらが2代秀忠です。






瑞垣の外からは見えにくいのですが、中の霊屋(おたまや)が重文に指定されています。
細部に至るまで見事な彫刻や装飾金具が施されていて
江戸時代初期の霊屋を代表するものだそうです。

 
秀忠                        家康



家康の霊屋の参考画像です。
徳川家だけあり、日光東照宮風にも見えますね。


                           参考画像


こちらは2015年の高野山開創1200年を記念して
特別公開された霊屋内部の画像です。
外見からは想像できない豪華さはさすがに徳川将軍家ですね。

  
秀忠                           家康
                                              参考画像

徳川家霊台も含め、高野山の歴史上重要な地区は
2004年に世界遺産に指定されています。




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霊台の向かいの若葉がきれいな公園に
多宝塔(金輪塔)が立っていました。





こちらは満開の八重桜です。





高野町の中心部までは歩いてすぐでした。
細長くコンパクトな町に、広く舗装されたバス通りが走り
立派な佇まいのお寺をはじめ、
素朴な和菓子、胡麻豆腐、梅干し、数珠、お香などの老舗や
閉店5時の飲食店が並ぶ小綺麗な中心街もあります。
また奥の院以外の名刹や旧跡は徒歩圏にかたまっています。

こちらの高野山警察署の建物も
周りの景観に合わせて破風が付いています!





この周辺に集まっているお寺は
どこも宿坊として、門徒や参拝者に宿を提供してくれています。

我々が泊まった一乗院もその中のひとつです。
立ち寄ってひとまず荷物を置いて身軽になりましょう。

門の両脇の赤い桶は、
昔客が乗ってきた馬に飲ませる水を置く習慣の名残とか。
横の草は食べさせるための配慮だったのでしょうか?





同じ通りで目に止まったお寺です。
凝った山門の普賢院。





普門院には白い素敵な建物が並んでいました。









下図マップに、この日見たところを赤で囲んで書き入れてみました。
白い☆印が宿坊の一乗院です。






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高野山霊宝館

高野山霊宝館は高野山内の各寺院に伝わる仏教美術や古文書を保存するため
1921年に建てられました。
木造ですが火災に備えて漆喰で塗り固められているとのことです。

現在国宝や重要文化財の大部分は
館内の大宝蔵(1961年建造)や近代的な収蔵庫に納められています。
館内は撮影禁止です。





中に入ると快慶の像がたくさんありました。
執金剛神立像(重文)と深沙大将(重文)です。


執金剛神立像            深沙大将立像

 
                           参考画像


こちらは四天王立像(1192年 重文 快慶)です。


                   
             
参考画像



展示されていなくて大変残念でしたが
こちらは霊宝館の2大美仏として有名な
孔雀明王座像(重文 快慶)と制多迦童子(重文 運慶)です。


孔雀明王座像(1200年 快慶)  参考画像



制多迦童子 運慶   参考画像



やはりこの作品も見れませんでしたが
霊宝館収蔵の国宝・仏涅槃図です。
現存する日本最古の涅槃図で、仏画の最高傑作だそうです。


仏涅槃図(1086年 国宝) 参考画像


このほか霊宝館の特徴として、
国宝や重文に指定されたお経や古文書が数多く展示されていました。




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金剛三昧院(こんごうさんまいいん)


杉林に囲まれた金剛三昧院に来ました。
ここは金剛峯寺の塔頭(子院)です。




金剛三昧院は1211年に北条政子(1157〜1225)が
亡き夫源頼朝(1147〜1199)の菩提を弔うために創立した
禅定院を前身としています。

続く1219年の息子・源実朝の逝去の際には
改築を行い、金剛三昧院と改称して真言宗の寺院となり
以来鎌倉幕府の手厚い保護を受けました。

街と少し離れていたため大火の類焼などに遭うこともなく
貴重な堂塔や文化 財が数多く残されており
高野山が世界遺産の指定を受けるにあたり重要な役割を果たしました。



表門に着きました。




こちらが本坊です。




大広間では重要文化財の襖絵
「金地着色梅花雉子図」が特別公開されていました。




建具の堅牢で質素な感じが素敵です。




本堂の屋根が見えています。




内部には運慶作と伝えられる愛染明王(重要文化財)が祀られています。

愛染明王(重要文化財 伝運慶作) 参考画像



お庭には天然記念物の石楠花が咲き始めていました。
古いものは樹齢450年とのこと。




境内に建つ国宝多宝塔(1223年)です。
北条政子が源頼朝、実朝の菩提を弔って建てました。
日本では石山寺に次いで二番目に古い多宝塔で、
高野山で現存する最古の建立物とのことです。




塔内には運慶作の五智如来像(重要文化財 非公開)が安置されています。

                     参考画像







多宝塔と同時期の1223年頃に建てられた経蔵(重要文化材)です。
鎌倉時代の校倉造りの建物として大変貴重なもので
500枚の経本の版木が納められています。




経蔵の隣に立つ樹齢約500年の六本杉です。
健康、愛情、学業、金運、仕事、賭事(!)と
それぞれの木は違う力を備えているとのことです。




境内に鎮守として祀られている四所明神社本殿(重要文化材)がありました。
室町時代の1552年の建立です。



高野山にあって開山当時の鎌倉仏教寺院の雰囲気も残す
小規模ですが、大変素晴らしいお寺でした。

それにしても北条政子は女人禁制の当時ですから
多分建設にあたって高野山と交渉したり、
完成後これらの堂塔を訪れることは出来なかったのではないでしょうか。
サイトによりますと、頼朝の逝去に際出家した旧臣の努力により
高野山にこの寺を開くことが許されたということです。




北条政子 (江戸時代 菊池容斎画)



ー続くー