25 Oct. 2015


東京レトロ西洋建築訪問 ①旧古河庭園 



10月18日の日曜日、東京都北区西ケ原にある旧古河庭園に行きました。
3万平方m余りの敷地に
大正初期に建てられた西洋館と洋風庭園、そして本格的な日本庭園を有する大邸宅です。

第2次世界大戦中は陸軍に、そして終戦後は連合軍に接収され
国へ物納されてからは1956年に都が借り受けて都立公園となりました。
長い間放置されて荒廃していた洋館は修復され、
2006年には国の名勝にも指定されて内部が一般公開されています。


***


当初ここには明治の元勲・陸奥宗光(1844〜1897)の
屋敷(当時の建物は現存していません)がありました。

こちらは明治25年(1892)に外務大臣になった頃の陸奥の家族写真です。
中央が陸奥、右は陸奥の先妻との間の長男廣吉(1869〜1942)で
のちに外交官となりイギリス人と結婚して教育者としても活躍しました。
左は後妻の亮子(1856〜1900)で
先妻亡きあと(1873)新橋の花柳界から迎えられました。


              参考画像


亮子は没落士族の出身で、結婚後陸奥の不遇の時もよく支え、
先妻の2人の息子や、祇園の女性との間に生まれた陸奥の娘の養育も行い
難しい姑にも仕えて、大変な苦労人だったようです。

下記写真からもうかがえる気品と美貌は「鹿鳴館の華」といわれ、
陸奥が駐米公使として赴任(1888)したワシントンの社交界でも注目の的だったそうです。
明治政府の条約改正を目指す欧化政策の中にあって、
元勲の夫人たちは苦労しながらも、洋館を舞台に外国人との社交の日々を送りました。


                参考画像
30代の亮子。ワシントンにて。



明治30年(1897)陸奥は肺結核のため、ここ西ケ原の陸奥邸で死去。
列強との不平等条約改正や日清戦争での難局を収拾した功績を顕彰し
外務省に銅像が建てられました。

さて、この陸奥の家屋敷を受け継いだのは
先妻との間の次男潤吉(下記写真 1870〜1905)で、
古河財閥創始者の古河市兵衛(1832〜1903)の養子になっていました。
こうしてこの土地は古河家の所有になりました。


                参考画像
潤吉



潤吉は市兵衛亡きあと、2代目当主として家業の足尾銅山を経営しますが
2年後の1905年に病死し
市兵衛の実子の虎之助(下記写真 1887〜1940)が3代目当主となります。

虎之助は潤吉から受け継いだこの土地に
大正6年(1917)に洋館と庭園を建造して9年間住み、
以降は古河家の迎賓館として使用されました。


                 参考画像
虎之助



虎之助が設計を依頼したのは1876年に日本政府の招へいで来日していた
英国人ジョサイア・コンドル博士(1852~1920)でした。
博士は工部大学校(東大工学部)教授として6年間教鞭をとり、
日本人と結婚し、生涯日本で過ごしました。
旧古河邸のほか、旧上野博物館鹿鳴館ニコライ堂三菱1号館、旧岩崎邸など
数多くのルネサンス様式やバロック様式の建物を設計して
日本の西洋建築に多大な貢献をしました。
この古河邸は完成の3年後に亡くなった博士の最晩年の作品となりました。



庭園案内図





最寄駅は地下鉄南北線西ケ原駅です。
邸宅は大名屋敷のような立派な塀で囲まれていました。










本館は英国貴族の邸宅をならった英国風古典様式で
渋い色調の重厚な安山岩で仕上げられています。
玄関の車寄せとサークルの植え込みが格式を感じさせます。





広い芝生がありました。
こうして遠景で見ると広い空がまるでイギリスの風景のよう。





館は小高い丘の上に建てられています。





庭園側から見た建物です。
地味な外壁に白い窓枠と華やかな花壇が映えています。





窓辺に咲く10月のバラです。










建物の前庭の傾斜地に作られた幾何学的なバラの花壇です。
ちょうど秋のバラフェスティバルの最中で
朝から来園者が色とりどりのバラを楽しんでいました。





正面の階段を降りてバラ花壇の中を歩きました。













やはり真紅のバラはいいですね。





バラ園からさらに階段を降りて、振り返って見る館。
地形をうまく利用した西洋花壇に感心しました。





バラ園の先にはツツジが植えられ
途切れることなく日本庭園へと導かれます。





下り坂の日本庭園への途中には
富士山の溶岩が石垣に用いられていました。





石垣の下から木立を通して見える丘の上の洋館です。





こちらの日本庭園は京都の財界人の邸宅の作園で知られた
小川治兵衛(1860〜1933)によるもので
地形を巧妙に利用した池泉回遊式庭園が特徴です。









巨大な雪見灯篭に驚きました。





心字池に据えられたこの雪見灯篭を
池を巡りながら四方から鑑賞する趣向になっていました。





木立の中のあずまやでお茶が頂けるようでした。





京都御所、修学院離宮、桂離宮の景観の保存も手がけた小川が遺した庭だけあって
小規模ですが東京における素晴らしい日本庭園のひとつとされています。





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建物内部の見学ツアーに参加しました。
こちらはステンドグラスが素敵な正面玄関です。
ドアの上のガラスに古河家の家紋が入っていました。
内部は撮影禁止でしたのでここまでは撮りましたが、あとはサイトからの画像でご案内します。






《1階 》

玄関ホールです。
壁の漆喰が白く塗り直され、木製の建具もニスの光沢が蘇っていました。
良い木を使用した丁寧な造りなので修復が効くのですね。


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勾配がゆるい階段は、ロングドレスの女性への配慮とのこと。


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こちらはビリヤードルームです。四角い台の上を均等に明るく照らす器具が設置されています。
台はもうありませんでした。


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洒落た市松模様のタイルが敷き詰められたグリーンのサンルームが隣接していました。
ゲームの合間に庭の景色を楽しみながら、ここで煙草やお茶の休憩がとられたそうです。


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書斎です。立派な対の書棚がありました。


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応接室です。暖炉の上の鏡は大正時代のものだとか。素敵な雰囲気ですね。


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小ぶりでアットホームな小食堂。
外の洋風庭園が見えるこの部屋で家族の朝食がとられました。。


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 庭が見渡せるテラスです。


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客用の食堂です。
メインダイニングルームらしいフルーツ模様の漆喰の天井飾りです。

暖炉の上の鏡の木製の彫刻は、
厚い一枚板を、繊細な模様部分を彫り残して平たく削り取るという
大変凝ったものでした。


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1階の応接室、小食堂、テラス、食堂では時間になると
カフェとしてお茶とお菓子が供されていますので
1階のお部屋はそのついでに見ることが出来ます。

邸内の2階も見学するには
前もって往復はがきによるツアーの申し込みが必要です。



《2階 》


2階に上がると1階と同じくホールがあり、洋風のドアがいくつも並んでいましたが
各部屋のドアを開けると、そこにはさらに襖や障子があり、中は和室になっていました。
建物の窓に沿って廊下を巡らせ、内側に襖や障子が設置されていました。
(下記写真参考)

家族の寝室のほか、居間、座敷、仏間などがあり
それぞれの格式に応じた立派な欄間や床の間が造られていました。





設計のコンドル博士も施主の和風の要望を入れるのにはさぞかし苦心したことでしょう。
日本人が好む和風の趣味や居心地良さが英国建築の内部に巧みに取り入れられていました。

浴室に関しては各寝室に付いているのではなく、独立していました。
天井が高い浴室に大理石が敷き詰められ、
中央に丸くて深い五右衛門風呂のような大理石の浴槽が置いてあり驚きましたが
座って首までお湯につかりたいという希望が反映されたのだそうです。
お湯は運び上げられたのでしょうか。

トイレは狭く、ゆとりや優雅さに欠けていた点が
邸宅の立派さに対してアンバランスという感想を見学の皆さんも一様に持ったようでした。
日本的にそうしたのか、イギリスでも当時はそうだったのかわかりません。
2階ですので水洗にはなっていたようです。

各洋室には暖炉がついていましたが、日本間は火鉢と炬燵だったのでしょうか?
スチームなどの暖房も付いていたのでしょうか。注意して見ませんでしたが・・・。
西洋の住宅設備の歴史にも興味を覚えさせられました。

このような邸宅の生活を維持するために
各種の役割を担う使用人が50人程居たこともあるとのこと、
3階の屋根裏部屋に住んでいたそうです。



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ツアーの後、食堂でバラの香りの紅茶とフルーツケーキを頂きました。
英国の邸宅のアフタヌーン・ティーの雰囲気に近いものがあったのではないかと・・・。
すみません。以下の2つの画像はつい撮ってしまいました。













明治以降、外国人技師による設計で
数多くの直輸入の西洋建築が日本に生まれました。

それらが震災や戦災を経て生き残り、
修復され保存された姿を見ることができるのは興味深く楽しいひと時です。


ー続くー