02 June 2010

ヴィーンレポート第2回目

v.K.


シュテファン大聖堂。ヴィーン旧市街の中心にあります。ゴシック建築の特徴
は天に向かって先鋭にそそり立つ塔、屋根、窓のデザイン。塔の高さは
136
メートルで、ドイツ民族の教会塔としてはウルム(バイエルン)、ケルンの聖堂
に次いで高い。
17世紀にヴィーンを包囲したオスマン・トルコ軍もこの尖塔を
見たことでしょう




 教会の中から地下のカタコムベに降りると、数千体の人骨が整然と並んで
いる。初めて見るとびっくりします。必ずしも一体々々並んでいるわけではな
く、ある一角には頭蓋骨、別のある一角には手や足の長い骨(長管骨と言い
ます)がまとめて積み重ねてあります。しかし人骨を飾るのはキリスト教圏で
は珍しいことではありません。
17世紀ペストで死んだ人たちの遺骨や、ハプ
スブルク一族の墓室、ハプスブルクに忠誠を誓い、出来るだけ皇帝一族の近
くに埋葬して欲しいと遺言した貴族達の骨などです。

 

 

19世紀に市の城壁を取り壊して環状通りが作られました。これは約30年を
掛けた国家の大事業でした。国立オペラ劇場も環状通りに面して、新たな市
の顔として建設されました。建築様式としては中世ロマネスク様式を踏襲し、
バランスの良いアーチをファサードに並べた、ネオロマネスク様式です。




 

 

アール・ヌーボー20世紀初頭に興隆した建築様式で、ドイツ語ではユーゲ
ント(若々しさの)様式といいます。パリに並んでヴィーンもその一拠点でした。
その特徴の一つは鉄を用いて直線や曲線を描いたことです。黒い鉄に金の
装飾がよく用いられています。この地下鉄駅の駅舎はオットー・ワグナーによ
って建設されたものです。




 

 

彼の有名な建築の一つに、オットー・ワグナー教会があります。ヴィーン郊外
の広大な精神科病院構内、小高い丘の上に立っています。この教会は宗教
を問わず、あらゆる国の精神を病む人々のために建てられました。中心とな
るのはキリスト教ですが、イスラム教や仏教との祈りの場となることも考慮し
て、設計されました。ワグナーは建築だけでなく、精神世界についても先進的
な考えを持つ人だったのでしょう。




 

 

教会入り口上部。ステンドグラス部分は黒い鉄格子に金の鋲。半ば抽象化さ
れた天使像。同じくラテン十字に「キリスト教のみに非ず」とでも言うかのよう
に点を付加して、モチーフ化した窓上部の装飾文様。


 

 

地下鉄「カールス広場」駅に降りる。



 



 



 



 



 



 



 



 

 

マリア・テレジアがここで国務を執った。幼いモーツァルトマリー・アントワネ
ット
に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。ナポレオンが二度
ここに滞在した。彼の没落後ここでヴィーン会議が行われた。この宮殿の大
小いくつもある広間で、毎晩のように舞踏会が開かれ、それが一年近く続い
た。「会議は踊る」と皮肉られた。




ヴィーン旧市街のホーフブルクより、ここのほうがきっと気持ちものびのびした
ことでしょう。フランツ・ヨーゼフ皇帝はホーフブルクから馬車で一時間足らず
のこの宮殿から幾多の政令を発しました。

 そしてフランツ・ヨーゼフの死からわずか2年後、ハプスブルク家最後の皇
帝はここで国事放棄の宣言に署名し、帝国は消滅しました。

 現代史の中では東西冷戦のさなか、アメリカのケネディ大統領とソ連のフル
シチョフ首相
が宮殿中央の大ギャラリー(ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に相当
するところです)で会談しました。
1961年のことです。

 

 

マリア・テレジアの時代(17401780)にほぼ現在の形になりました。故に基
本様式にはロココで統一されています。宮殿内部は撮影禁止でしたが、大
ギャラリー(鏡の間)、中国風小部屋など、約
60の部屋があります。



ここで暮らしていた人々は資料によると、皇帝一家のほか、役人、使用人、宮
廷付き貴婦人、家庭教師などが
1000人、衛兵200人(たった!?)、聖職者
11
人、医師9人、料理人とパン焼き職人と給仕が56人、楽士140人、それ
にドイツ語とイタリア語の詩人各々
1人ずつだったそうです。

 

 

皇帝一家は夏をここで過ごしました。皇帝フランツ・ヨーゼフT世(1830
1916
)の執務室も当然ありました。ということは、帝国中枢が一年の半分はこ
こにあったということ。実際フランツ・ヨーゼフ皇帝はこの宮殿の自室で
1916
1121日亡くなりました。 主要部分は2階にあります。皇帝と皇后の住
まいも、大臣達の執務室、会議室も、舞踏会の広間も。




 

 

宮殿の前に広がる庭園。中央部は緑地、池、離宮グロリエッテが直線状に並
び、両側は森。森の中に動物園、巨大なガラスの温室等があります。




 

 

本館の前左右には建物がいくつも並んでいます。これらは皇帝一族の住まい
であったり、大臣官房や政府の役所なのでしょう。森の中にも館が点在してい
ます。これらの建物の部屋数は
2000にも登るそうです。



敷地左上方の森の中にはシェーンブルンの名の由来である、澄んだ水が渾
々と湧き出る泉があるそうです。図は上方が南です。広大な敷地ですが、ヴ
ェルサイユに比べるとささやかなものです。

 

 

森の中にはリスが棲んでいます。一瞬のタイミング、見事撮影に成功しました。



 

 

ゆっくりグロリエッテまで登ってきました。結構きつかったです。



 

 

敷地の一番小高いところにあり、どちらから見ても景観を引き締めています。
淡いベージュはロココ建築の外観に、好んで使われています。




 

 

グロリエッテから宮殿本館を見下ろせます。直ぐ下には池。

宮殿左手が皇帝と皇后の住まいです。



 

 

エリザベートの住まいを見てみましょう。「マリー・アントワネットの部屋」も皇
后エリザベートのサロンです。マリーアントワネットの絵が掲げられているの
で、この名がついています。




 

 

「階段の小部屋」の説明で「地階にある皇后の私室」というのは文脈から推測
して、日本で言う1階のことだろうと思います。




 

 

さて、夕方ヴィーン旧市街に戻ってきました。ここはカフェ・シュヴァルツェンベ
ルク
。由緒あるヴィーンのカフェです。おっさん、久しぶりに会ったら爺さんに
なってたなあ。
L はミュンヘンでの遊び仲間です。



 

 

Dr. L って、ちょっとにやけてるけど、いい男だわ」とマリアが言いました。そ
れを実験の合間に
Dr. M に言ったら、M はそれをL にぶっちゃけた。そして
仲間が集まったある晩、

L 「グーテン・アベント。今晩は、フラウ v. K.、うっ、ふっ、ふ。」

マリア 「わたし、悪い気しないわ。うっふん。」

v. K. 「二人とも、いい加減にしとけよっ!」



 

 

カフェで昔話に花が咲いたので、日が暮れてから居酒屋に繰り出しました。店
の中より前庭、中庭のほうが賑わっている。お祭りの夜店に似た楽しい雰囲
気。ボジョレー・ヌーボーは赤だが、オーストリアでは出来たばかりのフレッシ
ュな白ワイン。ホイリゲ(今年の)と言い、
1/4リットルのジョッキで飲む。飲ん
でも飲んでも美味くて止められない。瓶はミネラルウォーター。

わたしの取った食事はキッシュとオーストリア風サワーなポテトサラダ。L
取ったのは豚の血で固めたソーセージ(俺、食べきらん)、茹ですぎたザワー
クラウトにパンのクネーデル。これは硬くなったパンをおろし金で粉にし、水で
練って賽の目に切ったベーコンを加え、塩水でボイルします。庶民のおにぎり
というところか。




 

 

夜が更けても話は尽きませんでした。

(続く)