5/23 2007掲載

 

ロシアを偵察旅行_その3 エルミタージュ美術館

 
v.K.

エルミタージュ美術館の所蔵品数は約260万点で、これはメトロポリタン美術館の約160万点を大幅に上回り、世界第一だ
そうです。もっともこれは西洋の絵画、美術品に限らずロシア、中央アジアの考古学的出土品なども含まれているようですが、そ
れにしても膨大な数です。ヨーロッパ諸国からの美術品購入は、第一次世界大戦が始まる
1914年まで続けられました。
ですから日本人の好きな印象派やピカソの作品も少なからず所蔵されています。ロシア革命後、貴族が収集していた美術品
はソビエト連邦政府の所有となり、多くがエルミタージュ美術館に移管されたようです。それにしてもロマノフ・ロシア皇帝家の財力
権力はすごいものです。

 

現在ではこの建物はエルミタージュ美術館と総称されていますが、ロシア帝国時代は冬宮と呼ばれる宮殿部分と、それに隣接す
エルミタージュと呼ばれる部分がありました。冬宮では公的な式典が執り行われ、式典区域に隣接して皇帝一族の居住区域
がありました。エルミタージュとはフランス語で隠れ家という意味で、エカテリーナU世が名付け、皇帝家が収集した美術品を公開展
示すると共に、公的行事を外れた生活を楽しむ場、皇帝と貴族達の社交場でした。国家第一の権力者が首都の真ん中に私生
活の場を求めて、隠れ家と名付けた豪華な宮殿を建造するとは、本人以外には洒落にもなりませんが、エカテリーナ女帝専用小
劇場があり、場所柄緑が少ないので、屋上庭園まで設けられました。
美術館には写真左奥の入り口から入ります。

 

中庭には多少の樹木があります。

 

最初に圧倒されるのがこの「ヨルダン階段の間」です。外国の大使が皇帝に謁見する際この階段を上がります。先に説明した式典
区域、居住区域、社交区域、美術館の主要部分は建物の(日本で言う)二階にあります。

 

外国の使節が皇帝に謁見する際も、皇帝主催の舞踏会に招かれた貴族達も、このように緊張した面持ちでこの階段を上ったことで
しょう。しかもフランス語で話しながら。
ロシア宮廷ではフランス語がごく普通に話されていました。公用語でなければ教養語です。それ
は現代の英語の比ではありません。フランス語を話せない人間は一人前とはみなされなかった。トルストイの「戦争と平和」の中にこん
な科白がありました。

「でも、ロシア語でこんなことうまく表現できまして?」

 

二階にある皇帝の玉座。しかしこの玉座の間が公式行事に使われることはほとんど無く、装飾的意味合いのものです。

 

重要な国家式典に使われたのは「聖ゲオルギウスの間」と呼ばれるこの広間です。玉座の上方白い壁に騎馬姿の聖ゲオルギウス
(聖ジョージ)がレリーフで描かれています。ここでは皇帝以外椅子に座ることは許されません。だからこの部屋にあるのは玉座にある
皇帝の椅子だけです。玉座の壇背後に描かれているのは勿論ロシア国家の(またはロマノフ家の)紋章です。ソ連邦時代は玉座の
前に大きなソ連邦地図が置かれていました。冬宮+エルミタージュは巨大な宮殿コンプレックスですから、あちこちで度々火災が起こ
っています。このゲオルギウスの間も一度火災に遭い、その後消失前とは違う今日の姿に再建されました。

 

皇帝がごく親しい人を招き入れた「孔雀石(マラカイト)の間」。前回述べましたが、緑が美しい孔雀石の柱は皇帝の富と権力の象徴です。

 

皇帝一家の居住区域にある「白い朝食の間」。ニコライU世と家族は実際ここで朝食を取っていました。

 

ニコライU世の執務室。木彫りネオゴシックの内装です。

 

さて、西洋美術の鑑賞に移りましょう。西洋絵画のコレクションを始めたのはエカテリーナU世です。彼女は「ロシア的鷹揚さで」金に糸目をつけず
、ドイツやイングランドの大貴族から一度に数百点単位で絵画を購入しました。デッサン、習作、水彩画などは
1000点単位で購入しました。

 

エカテリーナU世の寵愛を受けたナントカ公爵が女帝に贈った黄金の仕掛け時計。時間になると鳥がさえずり、孔雀が羽を広げる。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「花であやす聖母」1478年。エルミタージュにはもう一つダ・ヴィンチの聖母があります。これらレオナルドの絵は、
ロシアに帝政打倒のテロが横行し始めた19世紀末購入されました。さぞ高かったでしょう。その時世にこれは、ちょっとまずかったんじゃなかろうか?

 

ダ・ヴィンチの二つの「聖母」が展示されている部屋。

 

この部屋は19世紀に豪華な古典主義様式に改装されましたが、エカテリーナU世時代(18世紀)にはビリヤード室でした。
現在はイタリアルネサンス初期の名画が展示されています。こんな豪華な美術館は、ちょっと見当たりません。

 

この大広間はイタリア絵画の間。天井から自然光が採光されています。

 

ドレスデンではベロットと呼ばれていたカナレット 「ヴェネチアに着いたフランス大使の奉迎」1726年作。

 

エルミタージュにある美術品は全て本物だと言われる中にあって、唯一明らかなまがい物があります。それがこの「ラファエロのロッジア」
ロッジアとは、山小屋を意味する英語
lodgeと、同語源のイタリア語です。エカテリーナU世は、ヴァチカンにある有名な「ラファエロのロッ
ジア」を、サンクト・ペテルブルグのエルミタージュに再現するように、命令を下しました。

 

選ばれた10人の修道士がヴァチカンの壁に描かれた図柄を絹布に模写し、それを持ち帰って10年かけて「ラファエロのロッジア」を再現することが出来ました。

 

フランドル派の部屋。

 

だいたいエカテリーナU世がどうして西洋美術のコレクションをバタバタと始めたかというと、ヨーロッパ一流の帝国として体裁をつけるためです。

「わたしゃドイツの田舎貴族の出だし、芸術のことはなーんもわからんが、芸術品の一つも持ってなくては馬鹿にされることは解っとる。金は出すから、ヨーロ
ッパのあっちこっちから美術品を集めて来りゃんかい!」

さらに彫刻に至っては

「絵がわからんのに彫刻がどうして解ろうか?だいたい興味が湧かん。でも彫刻も持っとかんと格好つかんやろ。よし、お前が見つけてきたその200点の彫刻、
買いまひょ。」
つまり田舎娘が見そめられて、由緒ある家に嫁いだところ、旦那はぽっくり逝ってしまった。金持ちの未亡人に待った途端、見栄を張りたく
なった。背伸びしたくなった。習い事をして教養を身につけたくなったと、よくある図式です。

 

ルーベンス 「ペルセウスとアンドロメダ」1620年頃。

このような絵画を通して、昔の人々はギリシア神話や聖書の物語を覚えたのでしょう。そして私たち異教徒も。

 

レンブラント 「フローラ」1634年。

エルミタージュには多数のレンブラントが収蔵されています。

 

ポール・ゴーギャン 「果物を持つ女」1893年。ロシア人にはこの絵、飢えんばかりにタヒチに行きたくなるだろうな。

 

ドアを一列に連ね、ずーっと向こうまで見通せるアンフィラーダ(左)。

ここでちょっと当病院のご案内。私たちの仕事場にもアンフィラーダを採用しました(右)。ここは外来診察室の並び。医師や看護師がせわしげに行き来する、
ユーティリティ通路ですが、見た目にすっきりしているだけでなく、機能的です。

 

ついでに右の写真、白いパーティションのようなものは、暖房装置です。20枚ほど並んだ放熱(吸熱)板の中を冬季は2530℃の微温水が、夏期に
1217℃の微冷水が流れて室温を快適に保ちます。温風や冷風が体に当たらないことや、ファンの音がしないことに加え、夏期には吸熱と共に除湿も
するので(吸熱板に大量結露します)、とても快適です。最近普及してきた床暖房より、夏冬兼用出来るのも利点です。

 

Houdon 「ヴォルテール」1781年 大理石。社会科か世界史の教科書で見た哲学者の像はここにあったのかと、ちょっと感激でしたが、、。ガイドブックに
よるとこれは作者
Houdon(オードン?)が、エカテリーナU世から注文を受けて原作品に忠実に再制作した、作者自身による模写作品だそうです。原作は
現在パリのコメディ・フランセーズ劇場のフォワイエにあるそうです。ヴォルテールは
18世紀の絶対専制君主から手厚くもてなされ、プロイセンのフリードリヒ大王
が彼をサン・スーシィ宮殿に招いたのは有名です。エカテリーナU世も彼に度々書簡を送り、ヴォルテールの死後彼の蔵書をエカテリーナ宮殿に譲り受け、こ
の座像と共にヴォルテール・パヴィリオンを宮殿に設けようと計画していました。高齢になっても衰えぬ威厳と智慧と、かすかに皮肉を含んだ笑みが表現されて
いる、、とガイドブックにはあります。